混雑の中で、お繁は肩掛に包まれたまま、取散らした手荷物などの中に寝かされていた。稀《たま》にアヤされても、笑いもしなかった。その晩は、遅くなって、一同夕飯にありついた。
翌日は、荷物の取片付に掛るやら、尋ねて来る客があるやらで、ゴタゴタした。お繁は疲れて眠り勝であったが、どうかすると力のない眼付をしながら、小さな胸を突出すような真似《まね》をして見せる。この児はまだ「うま、うま」位しか言えない。抱かれたくて、あんな真似をするのだろうと、私達は解釈した。で、成るべく顔を見せないようにした。温順《おとな》しく寝ているのを好い事にして、いくらか熱のあったのも気に留めなかった。思うように子供を看《み》ることも出来なかったのである。
大久保へ来て三日目に、私は先ず新しい住居《すまい》へ移って、四日目には家のものを移らせた。新築した家屋のにおいは、不健康な壁の湿気に混って、何となく気を沈着《おちつ》かせなかった。壁はまだ乾かず、戸棚へは物も入れずにある。唐紙は取除《とりはず》したまま。種々なことを山の上から想像して来た家内には、この住居はあまりに狭かった。
「家賃を考えて御覧な」
と私は笑った。
歩調を揃《そろ》えた靴の音が起った。カアキイ色の服を着けた新兵はゾロゾロ窓の側を通った。金目垣《かなめがき》一つ隔てた外は直ぐ往来で、暗い土塵《つちぼこり》が家の内までも入って来た。
お房は物に臆しない方の娘で、誰とでも遊んだから、この住居へ移った頃には最早《もう》近所の娘の中に交っていた。そして、小諸|訛《なまり》の手毬歌《てまりうた》なぞを歌って聞かせた。短い着物に細帯ではおかしいほど背丈の延びた学校通いの姉さん達を始め、五つ六つ位の年頃の娘が、夕方に成ると、多勢家の周囲《まわり》へ集った。お菊はなかなか用心深くて、庭の樹の下なぞに独《ひと》りで遊んでいる方で、容易に他の子供と馴染《なじ》もうともしなかった。
「房ちゃん、大手のお湯《ゆう》へ行きましょう」
こうお菊は母に連れられて入浴に出掛ける時に言った。この娘は小諸の湯屋へ行くつもりでいた。
漸く家の内がすこし片付いて、これから仕事も出来ると思う頃、末の児は意外な発熱の状態《ありさま》に陥入った。新開地のことで、近くには小児科の医者も無かった。村医者があると聞いて、来て診《み》て貰《もら》ったが、子供を扱いつけたこ
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