もうすこし宅も何か為《し》そうなものでしたが……」
 こういう話から引出されて、豊世は橋本の舅《しゅうと》が家出の当時のことや、生家から電報が来て、帰って行ってみると、それぎり引留められて了うところであったことや、実に恋人の方へ行く女の心で彼女は正太の方へ逃げて来たものであることなぞを言出した。
 豊世はまだ聞いて貰いたいという風で、ある時自分の一生を卜《うらな》って貰ったことがあった。「貴女は優しい人ですが、何処《どこ》か一箇処《ひととこ》、男性《おとこ》のようなところが有る――そこを気を着けなければ不可《いけない》」とその卜者《えきしゃ》が言ったとか。そんなことまで言出した。
「叔父さんの言葉で言えば、まあ親が出て来るんでしょうよ」
 こう言って、豊世は寂しそうに笑った。
 遊び盛りのお雪の子供等は表の入口を出たり入ったりしつつあった。三番目の男の児も、最早どうにかこうにか歩ける頃で、母親の方へ来たり、女中の方へ往《い》ったりしていた。
「オヤ、可笑《おか》しい、母さんのお乳を捜したりなぞして」
 と豊世に言われて、子供は母親の懐《ふところ》に入れた手を引込ました。
「ナイナイしましょう」とお雪は懐を掻合《かきあわ》せながら子供に言った。
「そう言えば、叔母さんは復《ま》たお出来なさいましたんでしょう……どうも此頃《こないだ》から、そうじゃないかッて、老婆《ばあや》とも御噂をしていましたよ」
 豊世はお雪の方を見た。お雪はすこし顔を紅めて、微笑《ほほえ》んだ。
「お雪」と三吉は妻に、「何か豊世さんの許《とこ》の道具で、お前の方に頂きたいものが有るかい」
 お雪は気の毒そうに、「そうですねえ……じゃ、豊世さんの裁物板《たちものいた》と、それから張板でも譲って頂きましょうか」
「あの張板なぞは、宅でまだ川向に居ました時分、わざわざ檜木《ひのき》で造らせたんですよ。長く住む積りでしたからねえ。とにかく、道具屋に一度見せまして、直段《ねだん》を付けさした上で、また申上げましょう」
 豊世は心細そうに震えた。とかく話は途切れ勝であった。


 豊世が帰って行く頃、三吉は独《ひと》り二階の部屋へ上って、北側の窓のところに立った。屋根、物干などの重なり合っている間には、春らしく濁った都会の空気や煙を通して、ゴチャゴチャ煙筒《えんとつ》の立つ向うの町つづきに、駒形の方の空を望むことも出来た。そこで三吉は正太のことを思った。
 お雪も楼梯《はしごだん》を上って来て、豊世が置いて行ったという話を夫にした。正太が一つ場所《ところ》に一週間居ると、必《きっ》ともうそこには何か持上っている――正太はお俊にまで掛った――こんなことまで豊世はお雪に話して行ったとかで。
「『真実《ほんと》に、叔母さんは可羨《うらやま》しい』なんて、豊世さんはそんなことを言って帰りましたっけ」
「でも、お前は不平だって言うじゃないか」と三吉は聞き咎《とが》める。
「何にも不平なことは有りません」
 こうお雪が力を入れて答えたので、しばらく三吉は妻の顔を眺めていた。
「吾儕《われわれ》が豊世さんから羨《うらや》まれるようなことは何にも無いサ――唯、身体が壮健《じょうぶ》だというだけのことサ」
 そう言って置いて、三吉は自分の仕事の方へ行った。
 その晩、三吉夫婦は遅くまで正太や豊世の噂をした。子供等が寝沈まった頃、お雪は何か思出したという風で、平素《いつも》にない調子で、
「父さん、私を信じて下さい……ネ……私を信じて下さるでしょう……」
 と夫の腕に顔を埋めて、終《しまい》には忍び泣に泣出した。「何を言出すんだ――今更信じるも信じないもないじゃないか」と三吉は言おうとしたが、それを口には出さなかった。彼は黙って、嬉しく悲しく妻の啜泣《すすりなき》を受けた。


 いよいよ豊世が名古屋へ発《た》つという前日、駒形の家の方からは、夏火鉢、額、その他勝手道具の類なぞを三吉の許へ運んで来た。その中には正太の意匠で、お俊の絵筆をかりて、小さな二枚戸に落葉を模様のように画かせた置床もあった。
 豊世も別れに来た。彼女は自分の使い慣れた道具が、叔父の家の方へ来ているのを眺めて、楽しい河畔の生活もいよいよ終を告げるかと思った。
「今も、一軒お別れに寄って参りましたら、その家の人が、橋本さんは何時《いつ》でもお別れにばかり寄るじゃありませんか、なんて……」
 こう豊世は叔父叔母に話して、落着いていたことも少い自分の生涯を聞いて貰いたいという風であった。
「豊世さん、こういう説がありますぜ」とその時、三吉は直樹の老祖母《おばあさん》の話だと言って、正太の生命《いのち》が三年持つものなら、豊世が傍に居ては一年しか持つまい、とあの七十の余までも生き延びた老祖母が言ったことをそこへ持出した。豊世は
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