ような年配の理学士が有ったが、この人は花の束を持って来て、夫婦の乗った汽車の窓へ差入れた。その日は牧野も洋服姿でやって来て、それとなく見送っていた。
「困る。困る」
とお菊は泣出しそうに成った。この児は始めて汽車に乗ったので、急にそこいらの物が動き出した時は、周章《あわ》てて父親へしがみ着いた。
ウネウネと続いた草屋根、土壁、柿の梢《こずえ》、石垣の多い桑畑などは次第に汽車の窓から消えた……
汽車が上州の平野へ下りた頃、三吉は窓から首を出して、もう一度山の方を見ようとした。浅間の煙は雲に隠れてよく見えなかった。
乗換えてから、客が多かった。三吉は立っていなければ成らない位で、子持がそこへ坐って了えば、子供の方は一人しか腰掛ける場処も無かった。お房とお菊とは、かわりばんこに腰掛けた。お繁はまた母に抱かれたまま泣出して、乳を宛行《あてが》われても、揺《ゆす》られても、泣止《なきや》まなかった。お雪は持余《もてあま》した。仕方なしにお繁を負《おぶ》って、窓の側で起《た》ったり坐ったりした。
午後の四時頃に、親子五人は新宿の停車場へ着いた。例の仕事が出来上るまでは、質素にして暮さなければ成らないというので、下女も連れなかった。お房やお菊は元気で、親達に連れられて始めての道を歩いたが、お繁の方は酷《ひど》く旅に萎《しお》れた様子で、母の背中に頭を持たせ掛けたまま、気抜のしたような眼付をしていた。時々お雪は立止って、めずらしそうに其処是処《そこここ》の光景《さま》を眺めながら、
「繁ちゃん、御覧」
と背中に居る子供に言って聞かせた。お繁は何を見ようともしなかった。
郊外は開け始める頃であった。三吉が妻子を連れて移ろうとする家の板葺《いたぶき》屋根は新緑の間に光って見えて来た。
底本:「家(上)」新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年5月10日発行
1968(昭和43)年6月30日17刷改版
1998(平成10)年9月5日51刷
※底本は、35ページ9行目で鳳凰の「凰」の「白」を「百」と作っています。作字上の誤りと判断し、「凰」をあてました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:(株)モモ
校正:藤田禎宏
2000年12月2日公開
2000年12月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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