て、すこし紅くなった。お仙も無心に眺めていた。
手を洗った後、正太は三吉叔父と一緒に成った。二人は話し話し母屋の方へ帰って行った。
手桶を担《かつ》いだお春は威勢よく二人の側を通った。百姓の隠居も会釈して通った。隠居の眼は正太に向って特別な意味を語った。「若旦那様――お前さまは唯の若いものの気でいると違うぞなし……お前さまを頼りにする者が多勢あるぞなし……行く行くはお前様の厄介に成ろうと思って、こうして働けるだけ働いている老人《としより》もここに一人居るぞなし……」とその無智な眼が言った。
正太は一種の矜持《ほこり》を感じた。同時に、この隠居にまで拝むような眼で見られる自分の身を煩《うるさ》く思った。
漠然《ばくぜん》とした反抗の心は絶えず彼の胸にあった。「どうしてこう家のものは皆な世話を焼きたがるだろう、どうしてこうヤイヤイ言うだろう――もうすこし自分の自由にさせて置いて貰いたい」これが彼の願っていることで、一々自分のすることを監視するような重苦しい空気には堪えられなかった。
田舎《いなか》風の屋造《やづくり》のことで、裏口から狭い庭を通って、表の方へ抜けられる。表座敷へ通
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