る。突当りの窓の外は直ぐ細い路地で、簾越《すだれご》しに隣の家の側面も見える。
夕飯時に近かった。実は長火鉢の側に膳《ぜん》を控えて、先ずオシキセをやりながら、三吉から橋本の家の様子を簡単に聴取《ききと》った。
「木曾の姉さんからの御土産《おみやげ》です」
とお倉はオズオズとした調子で言って、三吉が持って来た蜂の子の煎付《いりつ》けたのを皿に載せて出した。
実が家長としての威厳は何時《いつ》までも変らなかった。彼は、家の外では極《きわ》めて円滑な人として通っていたが、家の者に対《むか》っては厳格過ぎる位。丁度|往時《むかし》故郷の広い楽しい炉辺《ろばた》で、ややもすると嫌味《いやみ》なことを言う老祖母《おばあ》さんを前に置いて、碌々《ろくろく》口も利《き》かずに食った若夫婦の時代と同じように、何時まで経ってもそう打解けた様子を妻に見せなかった。
「お種さんも御変りは御座いませんか」
こうお倉は三吉に尋ねながら、弟や娘の為にも膳を用意した。
宗蔵は三吉と相対《さしむかい》に胡坐《あぐら》にやった。「どうも胡坐をかかないと、食ったような気がしないネ――へえ、久し振で田舎《いなか》の御馳走《ごちそう》に成るかナ」
こんなことを言って、細く瘠《や》せた左の手で肉叉《ホオク》や匙《さじ》を持添えながら食った。宗蔵は箸《はし》が持てなかった。で、こういうものを買って宛行《あてが》われている。
「宗さん、不相変《あいかわらず》いけますね」と三吉が戯れて言った。
「不相変いけますねとは、失敬な」と宗蔵は叱るように。
「ええええ、いけるどころじゃない」とお倉は引取って、「病人のくせに、宗さんの食べるには驚いちまう」
宗蔵は兄の前をも憚《はばか》らないという風で、食客同様の人とも見えなかった。それがまた実には小癪《こしゃく》に触《さわ》るかして、病人なら病人らしくしろという眼付をしたが、口に出して何も言おうとはしなかった。平素《ふだん》から実は宗蔵とあまり言葉も交さなかった。唯――「一家の団欒《だんらん》、一家の団欒」この声が絶ず実の心の底に響いていた。
食後に、三吉は番茶を飲みながら、旅の話を始めた。実は娘の方を見て、
「俊、お前の習った画を三吉叔父さんにお目に懸けないか」
こう言われて、お俊は奥座敷の方から画手本だの画草紙だのを持って来た。
「お蔭様で、彼女《あれ
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