には老祖母《おばあ》さんの病気としてある。豊世は直に電報の意味を読んだ。そして、再び夫の許へ帰ることの出来ない様な疑念《うたがい》と恐怖《おそれ》とに打たれた。生家へ出掛けて行ってみた時の豊世は、果して想像の通り引止められて了《しま》った。離別の悲哀《かなしみ》は豊世の眼を開けた――どこまでも豊世は正太の妻であった――そんな訳で、彼女は自分の生家に対しても、当分国の方に居にくい人である――彼女はしばらく東京にでも留って、何か独立することを考えようとして来た人である。こういう話を母に残して置いて、やがて正太は別れを告げて行った。
一旦くれた嫁を取戻すとは何事だろう。この思想《かんがえ》はお種に非常な侮辱を与えた。その時お種は、橋本の家に伝わる病気を胸に浮べた。何かにつけて、彼女は先ずその事を考えた。「あんな親子には見込が無い――」などと豊世の生家から指を差されるのも、唯、女に弱いからだと考えられた。
「だから、私が言わないこっちゃ無い――」
とお種は独りで嘆息して了った。彼女は豊世を抱いて泣きたいような心が起って来た。そして皆な一緒にどうか成って了うような気がした……
「橋本さん――貴方はそんな頭髪《あたま》をしていらっしゃるから旦那に捨てられるんです」
お種が部屋を出て、二階の欄干《てすり》から温泉場の空を眺めていると、こんな串談《じょうだん》を言いながら長い廊下を通る人が有った。隣室の客だ。林夫婦は師走《しわす》の末に近くなって復た東京から入湯に来ていた。
豊世と一緒に成った頃から、お種は髪を結う気も無く、無造作に巻きつけてばかりいたが、男の口からこんな言葉を聞いた時は酷《ひど》く気に成った。
「捨てられたと思って貰うと、大きに違う……私は旦那に捨てられる覚えは無いで……」
と腹の中で言ってみた。他《ひと》から見れば最早そんな風に思われるか、とも考えた。彼女は林が戯れて言うとも思えなかった。
部屋へ戻ると、豊世は入替りに出て行った。姑《しゅうとめ》と嫁とが一緒に成って、国の方の話を始めると、必《きっ》と終《しまい》には両方で泣いて了う。二人は互に顔を合せているのも苦《くるし》かった。町へ――漁村へ――近くにある古跡へ――さもなければ隣室に居る家族、その他この温泉宿で懇意に成った浴客の許《ところ》へ遊びに行くことを勉《つと》めて、二人ぎり一緒に居るこ
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