一里ばかり下りた。謔語《じやうだん》のつもりで言つたことは眞實《ほんたう》に成つて來た。實際、菜の花が咲いて居た。青草は地面《ぢべた》から頭を持上げて居た。
 湯が野へ着いたのは丁度晝飯を食ふ頃だつた。そこで馬丁は別を告げた。二日の間の旅で、吾儕はこの馬丁と懇意に成つて、知らない土地のことを種々《いろ/\》と教へられた。この馬丁から、色男の爲に石碑を建てたとかいふ洋妾《らしやめん》上りの老婆《ばあさん》のことまで教へられた。その健康で且つ金持の老婆が住むといふ邸の赤い窓を吾儕は車の上から見て通つて來た。
 湯が野ではすこしユツクリした。こゝにも温泉があつた。洋服を脱ぐのが面倒臭いから、私は入らない積りだつたが、皆なに勸められて旅の疲勞《つかれ》を忘れに行つた。こゝの宿から河津川《かはづがは》が見えた。二階の部屋の唐紙《からかみ》に書いてある漢詩を眺めながら晝飯《ひる》を濟ました。こゝにはウマイ葱があつた。
 別の馬車に乘つて、やがて下田を指して出發した。吾儕は椿の花の咲いて居る蔭を通つた。豐饒な河津の谷は吾儕の眼前《めのまへ》に展けて來た。傾斜は耕されて幾層かの畠に成つて居た。山の上の方まで多く桑が植付けてあつた。蜜柑は黄色く生《な》つて居た。「こゝから英雄が生れたんだらうね。」とA君は河岸に散布する幾多の村落を眺め入りながら言つた。ある坂の上まで行くと、吾儕は河津の港を望むことが出來た。海は遠く光つた。
 下田へ近づいた。女は烈しく勞働して居た。吾儕は車の上から街道を通る若い男や娘《をんな》の群に逢つた。その頬の色を見たばかりでも南伊豆へ來た氣がした。
 夕方に下田に着いた。町を一※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りして紀念の爲に繪葉書を買つて、それから港に近いところへ宿をとつた。奧の方の二階から眺ると、伊豆石で建てた土藏、ナマコ壁、古風な瓦屋根などが見渡される。泥鰌を賣りに來る聲が其間から起る。夕方であるのに、斯の尻下りのした泥鰌賣の聲より外には何も聞えなかつた。夕餐《ゆふげ》の煙は靜かな町の空へ上つた。
 宿の内儀《おかみ》さんは肥つた、丁寧な物の言ひやうをする人だつた。夕飯には吾儕の爲に鰒《あはび》を用意して、それを酢にして、大きな皿へ入れて出した。吾儕は湯が島の鳥の骨で齒を痛めて居たから、この新しい鰒を味ふには大分時が要《かゝ》つた。M君は齒を一枚
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