強《つよ》い脚《あし》の力《ちから》が、木曾生《きそうま》れの馬《うま》には自然《しぜん》と具《そな》はつて居《ゐ》るのです。
木曾馬《きそうま》は小《ちひさ》いが、足腰《あしこし》が丈夫《ぢやうぶ》で、よく働《はたら》くと言《い》つて、それを買《か》ひに來《く》る博勞《ばくらう》が毎年《まいねん》諸國《しよこく》から集《あつ》まります。博勞《ばくらう》とは馬《うま》の賣買《うりかひ》を商賣《しやうばい》にする人《ひと》のことです。木曾《きそ》の山地《さんち》に育《そだ》つた眼付《めつき》の可愛《かあい》らしい動物《どうぶつ》がその博勞《ばくらう》に引《ひ》かれながら、諸國《しよこく》へ働《はたら》きに出《で》るのです。
二二 御嶽參《おんたけまゐ》り
『チリン/\。チリン/\。』
山《やま》が夏《なつ》らしくなると、鈴《すゞ》の音《おと》が聞《きこ》えるやうに成《な》ります。御嶽山《おんたけさん》に登《のぼ》らうとする人達《ひとたち》が幾組《いくくみ》となく父さんのお家《うち》の前《まへ》を通《とほ》るのです。馬《うま》に乘《の》るか、籠《かご》に乘《の》るか、さもなければ歩《ある》いて旅《たび》をした以前《いぜん》の木曾街道《きそかいだう》の時分《じぶん》には、父《とう》さんの生《うま》れた神坂村《みさかむら》も驛《えき》の名《な》を馬籠《まごめ》と言《い》ひました。汽車《きしや》や電車《でんしや》の着《つ》くところが今日《こんにち》のステエシヨンなら、馬《うま》や籠《かご》の着《つ》いた父《とう》さんの村《むら》は昔《むかし》の木曾街道《きそかいだう》時分《じぶん》のステエシヨンのあつたところです。ほら、何々《なに/\》の驛《えき》といふことをよく言《い》ふでは有《あ》りませんか。木曾《きそ》の山《やま》の中《なか》にあつた小《ちひ》さな馬籠驛《まごめえき》でも、言葉《ことば》の意味《いみ》に變《かは》りは無《な》いのです。丁度《ちやうど》、お隣《とな》りで美濃《みの》の國《くに》の方《はう》から木曽路《きそぢ》へ入《はひ》らうとする旅人《たびびと》のためには、一番《いちばん》最初《さいしよ》の入口《いりぐち》のステエシヨンにあたつて居《ゐ》たのが馬籠驛《まごめえき》です。
御嶽參《おんたけまゐ》りが西《にし》の方《はう》から斯《こ》の木曾《きそ》の
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