たの》しい靜《しづ》かな道《みち》です。
父《とう》さんのお家《うち》のお墓《はか》は永昌寺《えいしやうじ》まで登《のぼ》る坂《さか》の途中《とちう》を左《ひだり》の方《はう》へ曲《まが》つて行《い》つたところにありました。これが誰《だれ》だ、あれが誰《だれ》だ、と言《い》つて祖母《おばあ》さんの教《おし》へて呉《く》れるお墓《はか》の中《なか》には、戒名《かいみやう》の文字《もじ》を赤《あか》くしたのが有《あ》りました。その赤《あか》い戒名《かいみやう》はまだこの世《よ》に生《い》きて居《ゐ》る人《ひと》で、旦那《だんな》さんだけ亡《な》くなつた曾祖母《ひいおばあ》さんのやうな人《ひと》のお墓《はか》でした。祖母《おばあ》さんは古《ふる》い苔《こけ》の生《は》えたお墓《はか》のいくつも並《なら》んだ石壇《いしだん》の上《うへ》を綺麗《きれい》に掃《は》いたり、水《みづ》をまいたりして、
『御先祖《ごせんぞ》さま、今日《こんにち》は。』
と言《い》ふやうにお花《はな》を上《あ》げました。祖母《おばあ》さんがお墓《はか》の竹箒《たけぼほぎ》を立《た》てかけて置《お》くところは大《おほ》きな杉《すぎ》の木《き》の根《ね》キでしたが、その杉《すぎ》の木《き》の間《あひだ》から馬籠《まごめ》の村《むら》が見《み》えました。
お墓《はか》にある御先祖《ごせんぞ》さまは永昌院殿《えいしやうゐんどん》と言《い》ひました。永昌寺《えいしやうじ》のお寺《てら》と同《おな》じ名《な》でした。あの御先祖《ごせんぞ》さまが馬籠《まごめ》の村《むら》も開《ひら》けば、お寺《てら》も建《た》てたといふことです。あれは父《とう》さんのお家《うち》の御先祖《ごせんぞ》さまといふばかりでなく、村《むら》の御先祖《ごせんぞ》さまでもあるといふことです。
なんと、あの御先祖《ごせんぞ》さまのやうに、開《ひら》かうと思《おも》へばこんな村《むら》も開《ひら》けて行《ゆ》きますし、建《た》てようと思《おも》へば永昌寺《えいしやうじ》のやうなお寺《てら》が建《た》つて、それが父《とう》さんの代《だい》まで續《つゞ》いて來《き》て居《ゐ》ます。先《ま》づ、思《おも》へ。何《なに》もかもそこから始《はじ》まります。御先祖《ごせんぞ》さまがさう思《おも》つてこんな山《やま》の中《なか》へ村《むら》を開《ひら》きはじ
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