何か独言《ひとりごと》を言えば、今一人がそれに相槌《あいづち》を打った。
「熊吉はどうした。熊吉は居ないか」
「居る」
「いや、居ない」
「いや、居る」
「あいつも化物《ばけもの》かも知れんぞ」
「化物とは言ってくれた」
「姉の気も知らないで、人を馬鹿にしてけつかって、そんなものが化物でなくて何だぞ」
 こういう二人の人は激しく相争うような調子にも成った。
「しッ――黙れ」
「黙らん」
「何故、黙らんか」
「何故でも、黙らん――」
 同じ人が裂けて、闘おうとした。生命の焔《ほのお》は恐ろしい力で燃え尽きて行くかのような勢を示した。おげんは自分で自分を制えようとしても、内部《なか》から内部からと押出して来るようなその力をどうすることも出来なかった。彼女はひどく嘆息して、そのうちに何か微吟して見ることを思いついた。ある謡曲の中の一くさりが胸に浮んで来ると、彼女は心覚えの文句を辿り辿り長く声を引いて、時には耳を澄まして自分の嘯《うそぶ》くような声に聞き入って、秋の夜の更けることも忘れた。
 寝ぼけたような鶏の声がした。
「ホウ、鶏が鳴くげな。鶏も眠られないと見えるわい」
 とおげんは言って見
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