き》を吐《つ》いた。
「わたしは好きな煙草にするわいなし」
とお新は母親の側に居ながら、煙草の道具を引きよせた。女持の細い煙管《きせる》で煙草を吸いつけるお新の手付には、さすがに年齢《とし》の争われないものがあった。
「お新や、お母さんはこれから独りで東京へ行って来るで、お前は家の方でお留守居するだぞや。東京の叔父さん達とも相談した上で、お前を呼び寄せるで。よしか。お母さんの側が一番よからず」
とおげんが言ったが、娘の方では答えなかった。お新の心は母親の言うことよりも、煙草の方にあるらしかった。
お新は母親のためにも煙草を吸いつけて、細く煙の出る煙管を母親の口に銜《くわ》えさせるほどの親しみを見せた。この表情はおげんを楽ませた。おげんは娘から勧められた煙管の吸口を軽く噛《か》み支えて、さもうまそうにそれを燻《ふか》した。子の愛に溺《おぼ》れ浸っているこの親しい感覚は自然とおげんの胸に亡くなった旦那のことをも喚《よ》び起した。妻として尊敬された無事な月日よりも、苦い嫉妬《しっと》を味わせられた切ない月日の方に、より多く旦那のことを思出すとは。おげんはそんな夫婦の間の不思議な結びつき
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