社会には復讐といふ事は遂に其跡を絶たざるべからず。(但し懲罰といふ事は別題なり)。
然れども宗教は架空の囈言《うはこと》たらしむべからず、無暗に唯だ救とか天国とか浮かれ迷はしむべからず。宗教はクリード(信仰個条)にあらざるなり、宗教は聖餐《せいさん》にあらず、洗礼にもあらず、但しは、法則にも、誡命にもあらざるなり、赤心の悔改と赤心の信仰とは、いかなる塲合に於ても尤も大なる宗教なり。而して宗教は、ヒユーマニチーの深奥に向つて寛々たる明燈たるべきものなり。人生実に測るべからざるものあり、人生実に知るべからざるものあり。願くは吾等信仰をして皮相の迷信たらしめず、深く人間と神との間に、成立たしめんことを。
復讐と戦争
一個人の間には復讐なり。国民と国民の間には戦争なり。復讐の時代は漸《やうや》く過ぎて、而して戦争も亦た漸く少なからんとす。宗教の希望は一個人の復讐を絶つと共に、国民間の戦争を断たんとするにあるべし。
自殺
苦惨の海に漂ふて、よるべなぎさの浮き身となる時は、人は自然に自殺を企つるものなり。人は己れを殺すことを以て、己れの財産を蕩尽《たうじん》すると同じ様に考ふるなり。
然れども名誉は自殺を促すことあり。名誉の唯一の保護者の位地に自殺を置くことあり。人の生命は名誉よりも軽くなることあるは奇怪ならずや。
外に又た自殺は自ら為したる害に対して、自ら加ふる害の如きことあり。この塲合には自殺は自伐の復讐なり。この復讐によりて万事を決せんとす。嗚呼《あゝ》、人間の事いかに悲しむべきにあらずや。
自殺と復讐
「ハムレツト」を読みたるものはおもしろき自殺と復讐の関係を知るべし。英国の思想にては、自殺は東洋の思想にて考へらるゝよりも苦しきものなり。「死」は其塲かぎりのものにあらず、死の後に何か心地よからぬことありと思ふは彼の思想なり。「死」は最後のものにして、残るは唯だ形骸のみとするは我が思想なり。此点に於て彼我大なる差違あり。
短剣を以て自ら加ふるは極めて易し、然れども人は之を為すよりも寧ろ自らの受けたる害に対して復讐し、而して復た其の復讐の復讐として自ら殺さるゝを喜ぶなり。自殺は自ら殺すものにして人に害を与ふるものならず、人は之を尚《たふと》ぶべきに、却《かへ》つて人を害したる後に自ら殺すを快とす、奇怪なるかな。
ハムレツトは其対手の悔悟の時に手を下すを以て、復讐の精神に外れたるものとして、之を為さず、復讐は敵を地獄に追ひ堕すを以て、尤も成功あるものと思へり、嗚呼復讐、汝の心果して奈何《いかん》。
[#地から2字上げ](明治二十六年五月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「平和 一二號」平和社(日本平和會)
1893(明治26)年5月3日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2004年10月31日作成
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