常に結局を睨《にら》んで立てり。熱意の終るところは結局にあり。
 人間の五官は、霊魂と自然との中間に立てる交渉器なり。霊魂をして自然を制せしむる是なり、而して人間の霊魂をして全く自然を離れて独立せしめざる者も、亦た是なり。霊魂の一側は常に此の交渉器を通じて、自然と相対峙す、而して霊魂の他の一側は、他の方面より「想像」の眼を仮りて、自然の向うを見るなり、自然を超えて、自然以外の物を視るなり。人に想像あるは、人に思求あるを示めす者なり。人に思求あるは、人に熱意あるを示めす者なり。熱意は冷淡と相反す。冷淡は人を閑殺し、熱意は人を活動的ならしむ。冷淡は思求なき時の心霊の有様にして、人生の意味少なき塲合を指すなり。
 幸福なる生涯には、熱意なる者少なし。熱意は不幸の友なり。熱意は悲哀の隣なり。幽沢《いうたく》邃谷《すゐこく》の中に濃密なる雲霧を屯《たむろ》せしむ。平地には斯《かく》の如き事あらず。国乱れて忠臣興るなり。家破れて英児現はるゝなり。遂げ難き相思益※[#二の字点、1−2−22]恋情を激発し、成し難きの事業愈※[#二の字点、1−2−22]志気を奮励す。不幸の観念は何物をか捉へんとして、捉ふること能はざるより生ずるなり、此の観念の存在する限は、心霊の平衡を失ひたる者にして、熱意なる者は蓋《けだ》し此の平衡を回復せんが為に存するなり。磁石に消極積極の二質あり、この二質が平均せざる限は、引力といふ不可思議の力を此世より絶つこと能はざるなり。斯の如く人間も亦た心霊の平衡を回復せざる限りは、熱意といふ不可思議の力を絶つこと能はざるなり。熱意は力なり。必らず到着せんとするところを指せる、一種の引力なり。この引力は人をして適《たまた》ま偉大なる人物とならしめ、適ま醜悪なる行為をなさしめ、或は善、或は悪、或は聖愛、或は痴情、等の名を衣《き》たる百般の光景を現出して、人生を変幻極まりなきドラマたらしむ。
 人は夢の如き事実を追随する事あり。事実の如き夢を追随する事あり。虚心を以て観る時は、夢にして、而して熱意を以て観る時は、事実の如く視らるゝ者あり、熱意を以て観る時は、夢にして、而して虚心を以て観る時は、事実の如く視らるゝ者あり。虚心は想像を容れず、熱意は想像の好友なればなり。虚心は徹頭徹尾、事実の中に注ぎ、熱意は往々にして、想像の跡を追ふて事実の域を脱す。虚心は意味ある者を意味なくし
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング