ヘ北条氏以後の思想を支配し、儒学は徳川氏以後の思想を支配したる事は史家の承諾する事実なるが、この二者も亦た他界に対する観念の大敵なり、禅は心を法として想像を閉ぢ、儒は実際的思想を尊んで他界の美醜を想せず、この二者の日本文学に於ける関係は一朝一夕に論ずべきものにあらずと雖、その他界に対する観念に不利なりし事は明瞭なる事実なり。
 我文学の他界に対する観念に乏しきことは、概《おほむね》前述の如し。写実派と理想派との区別漸く立たんとする今日の文壇に、理想詩人の、万人に願求せられながら出現することの晩《おそ》きも、強《あなが》ち怪しむに足らじと思はるゝなり。
 ギヨオテの想児フオウストと共に
[#ここから2字下げ]
Oh! if indeed Spirits be in the air,
Moving 'twixt heaven and earth with lordly wings,
Come from your golden“incense−breathing”sphere,
Waft me to new and varied life away.
[#ここで字下げ終わり]
と絶叫する理想詩人、遂に我文壇に待つべきや否や。疑はしと言ふべし。
[#地から2字上げ](明治二十五年十月)



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「國民之友 一六九號〜一七〇號」民友社
   1892(明治25)年10月13日、23日
※「シヱークスピア」と「シヱーキスピーア」の混在は底本通りです。
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
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