異にするが如しと雖《いへども》、要するに二岐に分れたる同根の観念なり。
ギヨオテのメヒストフエリスを捕捉して其曲中に入らしむるや、必らずしも斯《かく》の如き他界の霊物実存せりと信ぜしにもあらざるべし、余が他界に対する観念を論じて、詩歌の世界に鬼神を用ふる事を言ふも、強《し》いて他界の鬼神を惑信するにはあらず。詩歌の世界は想像の世界にして、霊あらざるものに霊ありとし、人ならざるものに人の如くならしめ、実ならざるものを実なるが如くし、見るべからざるものを見るべきものとするは、此世界の常なり、万有教あらざる前に此世界には既に万有教の趣味あり、形而上の哲学あらざる前に此世界には既に形而上の観念あり、想像は必らずしもダニヱルの夢の如くに未来を暁《さと》らしむるものにあらざるも、朝に暮に眼前の事に齷齪《あくさく》たる実世界の動物が冷嘲する如く、無用のものにはあらざるなり。漠々茫々たる天地、英国の大詩人をして、
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There are more things in heaven and earth,
Horatio,
Than are dreamt of in your philosophy.
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と畏《おそ》れしめたるもの、豈《あに》偶然ならんや。
「ハムレツト」の幽霊は実に此観念、この畏怖より、シヱークスピアの懐裡《くわいり》に産《うま》れたり。其来るや極めて厳粛に極めて凄※[#「りっしんべん+宛」、第3水準1−84−51]《せいわん》なり、恰《あたか》も来らざるべからざる時に来るが如く、其去るや極めて静寂なり、極めて端整なり、恰も去らざる可からざる時に去るが如し。来るや他界より歩み来りたる跡を隠さず、去るや他界に去るの意を蔽はず、極めて熱熾《アーネスト》なる悲劇の真中に、極めて幽玄なる光景を描き出す、茲《こゝ》に於て平生幽霊を笑ふものと雖、悚然《しようぜん》として人界以外に畏るべきものあるを識《し》り、悪の秘し遂ぐべからざるを悟る。彼一篇より幽霊の作意を除き去らばいかに、恐らくはシヱーキスピーア遂に今日のシヱーキスピーアにあらざりしなるべし。
長足の進歩をなせる近世の理学は、詩歌の想像を殺したりといふものあれど、バイロンの「マンフレツド」、ギヨオテの「フオウスト」などは実に理学の外に超絶したるものにあらずや、毒鬼を仮来《か
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