鶯も爰《ここ》に来りて
再び美妙の調べを、衆《みな》に聞かせたり。
*注1
中国・春秋戦国時代の楚の鐘儀が晋に捕らえられてのちも楚国の冠をつけて祖国を忘れなかった故事から、他郷で捕らわれの身となった人、捕虜、囚人を指す。
*注2
この部分のルビには疑問がある。透谷は12歳のときに東京銀座に移り住んだ。透谷の名も、数寄屋橋の数寄屋(すきや)→透谷(すきや)→透谷(とうこく)と発想されたものだと考えられている。ということは、透谷橋に「すきやばし」という読みをあてはめるべきではないだろうか。
底本:「北村透谷選集」岩波文庫、岩波書店
1997(平成9)年11月16日第27刷
入力校正:浜野 智
1998年9月4日公開
2002年1月8日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全5ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング