発したるものなり、蓮花蕾を破りて玉女泥中に現れたるは、実にこの晨《あした》なり。至善の至悪を仆《たふ》したるもこの朝《あした》なり、無漏の有漏に勝ちたるも、光明の無明を破りたるも、神性人性を撃砕したるも、皆この時に於てありしなり、而して其時間は一閃電の間に過ぎず、人|終《つひ》に戦はずして勝つ能はざるか、仆れずして起《おき》る能はざるか、われは文覚の為に悲しむ、われは彼の発機《はつき》を観じて、彼の為に且つ泣き且つ喜ぶ、彼をして斯《かく》の如き大毒刃の下に大発心を得せしめたる神意、果して如何《いかん》。天知子の「女学生」に載せし「怪しき木像」我眼前《わがめのまへ》に往来して、遂に我をして未熟の文を出《いだ》すに至らしめぬ。アーノルドの「あづま」世に出《いづ》るの時は近しと聞く、英国の詩宗が文覚を観るの眼光いかんは、読者と共に刮目《くわつもく》して待つべし。
[#地から2字上げ](明治二十五年九月)



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三二八號」女學雜誌社
   1892(明治25)年9月24日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング