の律調の端正なること、今の世の浮華なる音楽に較ぶべからず。うれしき事に思ひぬ。
第九
紅葉館は我|庵《いほ》の後《うしろ》にあり。古風の茶亭とは名のみにて、今の世の浮世才子が高く笑ひ、低く語るの塲所なり。三絃の音耳を離れず、蹈舞の響森を穿《うが》ちて来《きた》る。その音の卑しく、其響の険なるは、幾多世上の趣味家を泣かすに足る者あるべし。紳士の風儀久しく落《おち》て、之を救済するの道未だ開けず。悲《かなし》いかな。
第十
わが幻住のほとりに、情《なさけ》しらぬもの多く住むにやあらむ、わがうつりてより未だ月の数も多からぬに三度《みたび》までも猫を捨てたるものあり。一たびは朝早く我机辺に泣くを見出し、二度目《ふたゝびめ》には雨ふりしきる日に垣の外より投入れられぬ。三度目《みたびめ》は我が居らざりし時の事なれば知らず。浮世の辛らきは人の上のみにあらずと覚えたり。
第十一
今の世の俳諧士は憐れむべきものなるかな。我|庵《いほ》を隔つること杜《もり》ひとつ、名宗匠|其角《きかく》堂永機住めり、一日人に誘はれて訪ひ行きつ、閑談|稍《やゝ》久しき後、彼の導くまゝに家の中《うち》あちこちと見物しけるが、華美を尽すといふ程にはあらねど、よろづ数奇《すき》を備へて粋士の住家とは何人《なにびと》も見誤らぬべし。間数も不足なき程にあれば何をか喞《かこ》つべきと思ふなるに、俳翁|頻《しき》りに其|狭陋《けふろう》なるをつぶやきて止まず。一向に心得ねば、笑つて翁に言ひけるやう、御先祖其角の住家より狭しと思すにやと。俳士をして俗に媚《こ》ぶるの止むを得ざるに至らしめたるものあるは、余と雖《いへども》之を知らぬにあらねど、高達の士の俗世に立つことの難きに思ひ至りて、黙然たること稍しばしなりし。
[#地から2字上げ](明治二十二年十月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三三〇號」女學雜誌社
1892(明治25)年10月22日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
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