るが為に心健かならざるもの多ければ、常に健やかなるものゝ十日二十日病床に臥すは、左まで恨むべき事にあらず、況《ま》してこの秋の物色《けしき》に対して、命運を学ぶにこよなき便《よすが》あるをや。斯《か》く我は真意《まごゝろ》を以て微恙《びやう》ある友に書き遣《おく》れり。
第五
萩薄《はぎすゝき》我が庭に生ふれど、我は在来の詩人の如く是等の草花を珍重すること能はず。我は荒漠たる原野に名も知れぬ花を愛《め》づるの心あれども、園芸の些技《さぎ》にて造詣《ざうけい》したる矮少《わいせう》なる自然の美を、左程にうれしと思ふ情なし。左は言へど敢て在来の詩人を責むるにもあらず、又た自己の愛するところを言はんとにもあらず、唯だ我が秋に対する感の一《ひとつ》として記するのみ。
第六
鴉こそをかしきものなれ。わが山庵の窓近く下《お》り立ちて、我をながし目に見やりたるのち、追へども去らず、叱すれども驚かず、やゝともすれば脚を立て首を揚げて飛去らんとする景色は見すれど、わが害心なきを知ればにや、たゞちよろ/\と歩むのみ。浮世は広ければ、斯《かゝ》る曲物《くせもの》を置きたりとて何の障《さは》りにもなるまじけれど、その芥《あくた》ある処に集り、穢物《ゑぶつ》あるところに群がるの性あるを見ては、人間の往々之に類するもの多きを想ひ至りて聊《いさゝ》か心《むね》悪くなりたれば、物を抛《な》ぐる真似しけるに、忽《たちま》ちに飛去りぬ。飛去る時かあ、かあ、と鳴く声は我が局量を嘲る者の如し。実に皮肉家と云ふもの、文界のみにはあらざりけり。
第七
夜更けて枕の未だ安まらぬ時|蟋蟀《きりぎりす》の声を聞くは、真《まこと》の秋の情《こゝろ》なりけむ。その声を聞く時に、希望もなく、失望もなく、恐怖もなく、欣楽《きんらく》もなし。世の心全く失せて、秋のみ胸に充つるなり。松虫鈴虫のみ秋を語るにあらず。古書古文のみ物の理を我に教ふるにあらず。一蟋蟀の為に我は眠を惜まれて、物思ひなき心に思《おもひ》を宿しけり。
第八
芭蕉の葉色、秋風を笑ひて籬《まがき》を蓋《おほ》へる微かなる住家《すみか》より、ゆかしき音《ね》の洩れきこゆるに、仇心浮きて其《そ》が中《なか》を覗《うかゞ》ひ見れば、年老いたる盲女の琵琶を弾ずる面影|凛乎《りんこ》として、俗世の物ならず。そ
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