くべきものあるを認めず。舒事家としては知らず、写実家としての彼の技倆は紅葉に及ぶべからず。湖処子を崇拝する人々にして荐《しき》りに彼の純潔を言ふ者あるは好し、然れども余は彼の純潔が情熱の洗礼を受けたるものにあらざるを信ずるが故に、美しき純潔なりと言ふを許さず。嵯峨のやにおもしろき情熱あるは実なり、然れども彼の情熱は寧ろ田舎法師の情熱にして、大詩人の情熱を離るゝこと遠しと言ふべし。頃日古藤庵の悲曲続出するや、読者|孰《いづ》れも何となく奇異の観をなすと覚ゆ、要するに古藤庵の情熱、自《おのづ》から従来の作者に異るところあればなるべし、悲曲としての価値は兎《と》も角《かく》も、吾人は其の情熱を以て多く得難きものと認めざるを得ず。斎藤緑雨におもしろき情熱あるは彼の小説を一見しても看破し得るところなれど、憾《うら》むらくはその情熱の素たる自から卑野なるを免かれず、彼の如く諷刺の舌を有する作者にして、彼の如く野賤の情熱をもてるは惜しむべき至りなり、彼をして一年間も露伴の書斎に籠《こ》もらしめばやと外目には心配せらるゝなり。今日の作家が病はその情熱の欠乏に基づくところ多く、人間観に厳粛と真贄《しんし
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