に宗教と文学を混同して、その具躰的の形式に箝《は》めんとまでに意気込みたる主義に左袒《さたん》するものにあらず。
 宗教(余が謂ふ所の)は情熱を興すに就いて疑ひなく一大要素ならずんばあらず。是非と善悪とを弁別するに最大の力を持てる宗教なかつせば、寧ろブルータルなる情熱を得ることあるとも、優と聖と美とを備へたる情熱は之を期すべからず、宗教的本能は人心の最奥を貫きて、純乎たる高等進化をすべての観念に施すものなり。あはれむべき利己の精神によつて偸生《とうせい》する人間を覚醒して、物類相愛の妙理を観ぜしめ、人類相互の関係を悟らしむるもの、宗教の力にあらずして何ぞや。茲《こゝ》に宗教あり、而して後に高尚《ノーブル》なる情熱あり、宗教的本能を離れざる情熱が美術の上に、異妙のヱボルーシヨンを与ふるの力、豈《あに》軽んずべけんや。
 いかに深遠なる哲理を含めりとも、情熱なきの詩は活《い》きたる美術を成し難し。いかに技の上に精巧を極むるものと雖《いへども》、若し情熱を欠けるものあれば、丹青の妙趣を尽せるものと云ふべからず。美術に余情あるは、その作者に裡面の活気あればなり、余情は徒爾《とじ》に得らるべきも
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