に宗教と文学を混同して、その具躰的の形式に箝《は》めんとまでに意気込みたる主義に左袒《さたん》するものにあらず。
 宗教(余が謂ふ所の)は情熱を興すに就いて疑ひなく一大要素ならずんばあらず。是非と善悪とを弁別するに最大の力を持てる宗教なかつせば、寧ろブルータルなる情熱を得ることあるとも、優と聖と美とを備へたる情熱は之を期すべからず、宗教的本能は人心の最奥を貫きて、純乎たる高等進化をすべての観念に施すものなり。あはれむべき利己の精神によつて偸生《とうせい》する人間を覚醒して、物類相愛の妙理を観ぜしめ、人類相互の関係を悟らしむるもの、宗教の力にあらずして何ぞや。茲《こゝ》に宗教あり、而して後に高尚《ノーブル》なる情熱あり、宗教的本能を離れざる情熱が美術の上に、異妙のヱボルーシヨンを与ふるの力、豈《あに》軽んずべけんや。
 いかに深遠なる哲理を含めりとも、情熱なきの詩は活《い》きたる美術を成し難し。いかに技の上に精巧を極むるものと雖《いへども》、若し情熱を欠けるものあれば、丹青の妙趣を尽せるものと云ふべからず。美術に余情あるは、その作者に裡面の活気あればなり、余情は徒爾《とじ》に得らるべきものならず、作者の情熱が自からに湛積《たんせき》するところに於て、余情の源泉を存す。単純なる摸倣者が人を動かすこと能はざるは、之を以てなり。大なる創作は大なる情熱に伴ふものなり、創作と摸倣、畢竟するに、情熱の有無を以て判ずべし、然り、丹青家が無意味なる造化の摸倣を以て事とし、只管《ひたすら》に虚譫《きよせん》をのみ心とするは、抑《そもそ》も情熱を解せざるの過ちなり。
 顧《かへり》みて明治の作家を屈《かぞ》ふるに、真に情熱の趣を具ふるもの果して之を求め得べきや。露伴に於て多少は之を見る、然れども彼の情熱は彼の信仰(宗教?)によりて幾分か常に冷却せられつゝあるなり。彼は情熱を余りある程に持ちながら、一種の寂滅的思想を以て之を減毀《げんき》しつゝあるなり。彼がトラゼヂーの大作を成さゞるは、他にも原因あるべけれど、主として此理あればなるべし。紅葉の情熱は宗教と共に歩まず、常に実際《リアル》と相追随するものなり、故に彼は世相に対する濃厚なる同情を有すると雖、其の著作の何とやら技の妙に偏して、想の霊に及ばざるは寧ろ情熱の真ならざるに因するにあらずとせんや。美妙に於ては殆《ほとんど》情熱と名《なづ》くべきものあるを認めず。舒事家としては知らず、写実家としての彼の技倆は紅葉に及ぶべからず。湖処子を崇拝する人々にして荐《しき》りに彼の純潔を言ふ者あるは好し、然れども余は彼の純潔が情熱の洗礼を受けたるものにあらざるを信ずるが故に、美しき純潔なりと言ふを許さず。嵯峨のやにおもしろき情熱あるは実なり、然れども彼の情熱は寧ろ田舎法師の情熱にして、大詩人の情熱を離るゝこと遠しと言ふべし。頃日古藤庵の悲曲続出するや、読者|孰《いづ》れも何となく奇異の観をなすと覚ゆ、要するに古藤庵の情熱、自《おのづ》から従来の作者に異るところあればなるべし、悲曲としての価値は兎《と》も角《かく》も、吾人は其の情熱を以て多く得難きものと認めざるを得ず。斎藤緑雨におもしろき情熱あるは彼の小説を一見しても看破し得るところなれど、憾《うら》むらくはその情熱の素たる自から卑野なるを免かれず、彼の如く諷刺の舌を有する作者にして、彼の如く野賤の情熱をもてるは惜しむべき至りなり、彼をして一年間も露伴の書斎に籠《こ》もらしめばやと外目には心配せらるゝなり。今日の作家が病はその情熱の欠乏に基づくところ多く、人間観に厳粛と真贄《しんし》とを今日の作家に見る能はざるもの、職《しよく》として之に因せずんばあらず。好愛すべきシンプリシチーと愛憐すべきデリケーシーとを見る能はざるも、職として之に因せずんばあらず。若し日本の固有の宗教を解剖して情熱と相関するところを発見するを得ば、文学史上に愉快なる研究なるべけれども、之れ余が今日の業にあらず、聊《いさゝ》か記して識者に問ふのみ。
[#地から2字上げ](明治二十六年九月)



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「評論 十二號」女學雜誌社
   1893(明治26)年9月9日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2007年11月27日作成
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