を傾くること人に過ぎて多きを。花のあしたを山に迷ひ、月のゆふべを野にくらすなど、人には狂へりと言はるゝも自から悟ることを知らず、人には愚なりと言はるゝとも自から賢からんことを冀《ねが》はず。或時は蝶の夢の覚め易きを恨み、またある時は虫の音の夜を長うするを悲しむ。この恨み、この悲しみを何が故の恨み、何が故の悲しみぞと問ふも、蝶の夢は夢なればこそ覚め、虫の音は秋なればこそ悲しきなれ、と答ふるの外に答なきに同じ。嗚呼《あゝ》天地味ひなきこと久し、花にあこがるゝもの誰ぞ、月に嘯《うそぶ》くもの誰ぞ、人世の冉々《ぜん/\》として減毀《げんき》するを嗟《さ》し、惆《ちう》として命運の私《わたくし》しがたきを慨す。
 身は学舎にあり、中宵枕を排して、燈を剪《き》りて亡友の為に哀詞を綴る。筆動くこと極めて遅く、涕|零《お》つること甚だ多し。相距《あひへだゝ》ること二十余日、天と地の間に於てこの距離は幾何《いくばく》ぞ。(哀詞本文は未だ稿を完《まつた》うせず)
[#地から2字上げ](明治二十六年九月)



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「評論 十二號」女学雜誌社
   1893(明治26)年9月9日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2005年3月30日作成
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