しなかつた。だが本當のところどの百姓も、現實にはとてもそんなことは駄目なことだと「分つてゐながら」、漠然と、やつぱり、内地へ金をもつて歸ることを心の何處かで思つてゐた。北海道の百姓は皆平氣でさうだつた。
 たまに、内地へ一ヶ月でも行つてくるといふ者があると、(――それは然し極くまれだつた。例へば、誰か肉親が急病だとか、さういふ場合を兼ねての場合に限られてゐた。)同じ國の者が集つて行つて、自分達の親類に色々なことづけ[#「ことづけ」に傍点]を頼んだり、何かをとゞけてもらつたりした。村の樣子をきいてきて貰ふ事を約束したりした。
 なんでも源吉の父親と母親が、初めて北海道に來て、雪の野ツ原を歩かせられたとき、(源吉はその時父の背におぶさつてゐた。)――丁度今ゐる村に入る少し手前の道端に、くひ[#「くひ」に傍点]が一本立つてゐたのを見た。それは日暮れに近い時で、そのだゞツ廣い野原に、そのくひ[#「くひ」に傍点]だけが、たつた一本しよんぼり立つてゐた。父親は標示杭と思ひ、まだ、何里位あるのか、その前にしやがんで雪を拂ひ落してみると、それには、「越後國――郡――村、―― ――こゝに死す」と書いてあつた。父がそのことを母に云つてきかせた。二人とも、その時はゾツと寒氣がする程の頼りなさを感じた、――「なんぼなんでも、こんな風にだけはなりたくない」さう云つたのを、源吉は何度も聞かされて知つてゐた。
 そのやうに百姓は何時でも「故里」の土に結びつかれてゐた。
 農村の秋はます/\深くなつて行つた。
 源吉の母親は、冬ま近になると、腰が痛んできた。土間に下りて、繩を作りながら、由に、腰をもませたり、肩をもませた。由が嫌がつて逃げて歩く度に、
「ぜんこ一銭けるど。」と云つたり、それでもまだ來ないと、
「せば二錢けるど」と云つた。
 由が、母の後に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて、二度か三度、肩をもんで、すぐ、
「ぜんこけれ!」
「このほいと。」
「したツて、もんだでないか。」
「もつと。」
「ずるい/\。」
「馬鹿、お母ちやえゝツてまでだ。」
「ずるい/\/\。」
「この糞たれ!」
 二人で本氣になつた。そして、――がフト[#「フト」に傍点]、
「なあ、源ん――俺アこの冬、國さ行《え》つてきてえんだよ――源ん。」ヅキ/\痛む腰を自分でもみながら云つた。そして暗い顏をして源吉を
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