えた。その廣大な平原一面が暗くなつて、折り重なつた雲がどん/\流れてゐた。
暗くなつてから、源吉は兩手で着物の前についたゴミを拂ひ落しながら家の中に入つてきた。由はランプの下に腹這ひになつて、二、三枚位しかくつついてゐない繪本の雜誌をあつちこつちひつくりかへして見てゐた。
「姉《ねね》、ここば讀んでけれや。」
由がさう云つて、爐邊で足袋を刺してゐた姉の袖を引つ張つた。
「馬鹿!」姉は自分の指を口にもつて行つて、吸つた。「馬鹿、針ば手にさしてしまつたんでないか。」
「なあ、姉《ねね》、この犬どうなるんだ。」
「姉《ねね》に分らなえよ。」
「よオ、――」
「うるさいつて。」
「んだら、いたづらするど。」
源吉が上り端で足を洗ひながら、お文に、
「吉村の勝|居《え》たか?」ときいた。
お文は顏をあげて兄の方を見たが、一寸だまつた。「何《なん》しただ?」
源吉も次を云はなかつた。
「居《え》だつたよ。」それからお文がさう云つた。
「んか……何んか云つてながつたか。」
「何んも。」
「何んも? ……今晩どこさも行くつて云つてなかつたべ。」
「知らない。」
源吉は上に上ると、爐邊に安坐をかいて坐つた。家の中は長い年の間の焚火のために、天井と云はず、羽目板と云はず、何處も眞黒になつて、テカ/\光つてゐた。天井からは長い煤がいくつも下つてゐて、それが火勢や、風で、フラ/\搖れてゐた。
臺所は土間になつて居り、それがすぐ馬小屋に續いてゐた。だから何時でも馬小屋の匂ひが家に直接《ぢか》に入つてきた。夏など、それが熟れて、ムン/\した。馬小屋の大きな蠅が、澤山かたまつて飛んで來た。――馬が時々ひくゝいなゝいた。羽目板に身體をすりつける音や、前足でゴツ/\と板をかく音がした。
家の中にはまんなかにたつた一つのランプが點つてゐた。そのランプ自身の影が、丸太で組んである天井の梁に映つてゐた。ランプが動く度に影がユラ/\搖れた。
母親のせき[#「せき」に傍点]はテーブルを持ち出しながら、
「源《げん》、お前え何んか勝《かツ》さんに用でもあるのか?」ときいた。
「何んも。」
「網の相手そんだら誰だ。」
「ん……誰でもえゝ。」
「道廳の役人が來てるツて聞いたで。えゝか。」
源吉は肩を一寸動かして、「役人か……」さう云つて笑つた。
「なア兄、この犬どうするんだ。」
由が今度は繪
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