さんはこの説教を終へると、一番信心深い家へ泊めてもらつて、今度は一軒々々※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて、説教をして歩いた。年寄のゐる百姓家では、足袋の切れたのを買はないで間に合はせても、坊さんを呼んだ。若しも、それが出來なかつたら、「後生」が惡くなるのではないか、と思つた。それは一番恐ろしいことだつた――百姓は今までこの長い間一息もしないで働かせられてきた、これ以上、死んでからも亦働かなければならない、そんなことであつたら、たまらないと思つた。百姓はどの百姓も多かれ少なかれ、あんまり働かなければならないこの世の中に、イヤ氣がさしてゐた。それから、何より、逃れたかつた。百姓にとつて、その事は足袋や、味噌どころではなかつた。百姓は、はつきりは考へてゐなくても、心の何處かで、何時も「來世」を思つてゐた。
源吉の母親は、坊さんが來るといふ日、朝から何か臺所でこしらへてゐた。そして坊さんが來ると、それを出した。
源吉の母親は、氣候が寒くなると腰や、足首などが痛んできた。長い間の、度を過ぎた働きが、だん/\身體にこたへてきたのだつた。母親は始終いやがる由に肩や腰をもませてゐた。坊さんは仔細らしく、お經を口早に、――うそぶくやうに唱へると、數珠をザラ[#「ザラ」に傍点]/\とやつて、せき[#「せき」に傍点]の肩や、腰などを、それでこすつたり、撫でたりした。そして、それはどの百姓家でもさうだつた。頑丈さうに見えても、百姓は大抵きつと、夜など、腰がやんできたり、肩がこつたりして眠れないで苦しんだ。だから、坊さんは一軒々々※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて歩くと、その方でも隨分金になつた。
坊さんは二日ゐて、一軒々々※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]り切つてしまふと歸つて行つた。餘程金を懷に入れてゐた。
源吉が畑から歸つてくるとき、その坊さんに會つた。坊さんはどこかこすい、商賣人らしく、一寸あいさつをした。が、源吉はムツとしたまゝ、だまつてゐた。それから少し來ると校長に會つた。
小學校の校長は、三十七、八の、何處か人好きのしない、澁面の男だつた。校長でもあり、訓導でもあり、小使でもあつた。教室は二十程机をならべたのが一室しかなかつた。一年から六年生迄の男の子も女の子も、そこに一緒だつた。教室には地圖もかゝつてゐたし、理科用の標本の入つてゐる
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