これから村がダンダン底へ落ちこんで行くと、キヌのような女は、殖えらさる一方だ。
 健ちゃのことはよく聞きたがるが、節のこともあるらしいので、知らせていない。
「小樽」と「S村」――上ッ面から見ただけでも、前に云ったことがハッキリ分る。――製缶工場、拓殖ビルディング、一流銀行、××工場、運河、倉庫、公園、大邸宅、自動車、汽船、高架桟橋《コール・ピーヤー》……それ等が、まるで大きな渦巻のように凄じく入り乱れ、喚いている。その雑沓する街を歩いていると、世界の何処に、あの泥だらけの、腰のゆがんだ百姓というものがいるか、と思わせられる。草、山、稲、川、肥料、――これだけが農村だ!――だが、小樽の人は本当の百姓を眼の前で見たことが、一度だって無いかも知れない。
 又書く。
 ただ俺達は何時迄も「百姓」「百姓」ッて誤魔化されていないことだ。――これだけが大切なことだ。みんなに、よろしく。

 こんな意味のことが書かれていた。――健は飯を食いながら、丁寧にそれをもう一度読み直した。それから、それを持って阿部のところへ出掛けて行った。
[#改段]

    八


     「百姓嫌になった」

 雨が二週間以上も続いた。
 初め硝子の管のように太い雨が降った。雷が時々裂けるような音をたてた。――何時も薄暗い家の隅までが、雨明りで明るく見えた。
 それが上らず、そのまま長雨になってしまった。皆が当にしていた雲の切れ目も無くなって、飽き飽きする程同じ調子で、三日も四日も続いた。五日目になると、小作はあわて出した。居ても立っても居られない。どこの家でも百姓が軒下に立って、グジョグジョに腐りかけて、水浸りになっている外を見ていた。
「何んて百姓って可哀相なもんだべな。」
 佐々爺は東京新聞にも読み飽きてしまった。若いものの邪魔になりながら、ゴロゴロしていた。――「可哀相に、手も足も出ない。――はがゆくって!」
 稲が実を結びかけていた大切な時を、雨は二十日間降ってしまった。所々ボツンボツンと散らばっている小作の家は、置き捨てにされた塵芥箱のように意気地なく――気抜けしてしまった。
 一回仕入れた原料が出来上る迄に一年かかる。――七之助はそれに驚いた。然し、それどころか! その一年目にようやく出来上るものさえ、こう[#「こう」に傍点]ではないか。――これじゃ、あのめまぐるしい都会の色々な産業や工業から時代おくれになって、農村が首をしめられ、落ち込んで行くのは分りきったことだ。
「百姓|嫌《え》やになった。」――健は集ってきた友達に云った。
 仕方がなくなると、紙に線をひいて、皆で軍人将棋をやった。――母親は、風呂敷のように皺ッぽい、たるんだ乳房を赤子の口にふくませながら、小さい切り窓から雨の外を、うつろに見ていた。こめかみを抑えて、「あ――あ、雨の音ば聞いてれば頭痛くなる。」
「S村の小作が、身欠鰊みたいに、ズラリ並んで首でもつる時来るべ。んだら見物《みもの》だ。」
 然し誰も笑えもしない。
 五、六人で傘をさして、近所の田を見に出た。誰かがついでに「蛇吉」に寄ってみようと云った。何とか話して置けば、工合がいいことがあるかも知れない。――ワザワザなら、誰がこったら管理人のどこさ来るッて、皆そう思っている。
 吉本は坐ったまま障子をあけて、黄色ッぽくムクンだ大きな顔を出した。小作達だと分ると、瞬間イヤな顔をした。
「何んだな。」
(猫撫で声だぞ!)
「ハ、別に……。」
 お客がいた。――H町の警察署長だった。健達はそれと分ると、理由なく尻ごみを感じた。然し吉本の方が何か周章てたように、
「用事か? 今こっち、一寸……。後で駄目かな。」
「イヤ、その、この雨だもんで、ハ、そのオ、田ば見てきました……。」
「ん――、今度のでは考えてる。――後にしてけれ。」
「あまり作がヒドイので、予め岸野さんの方へ、一つ……」
 健が云いかけたのを、ウルサそうに、
「ん、ん、ん!」と抑えてしまった。「お前等の指図でやるんでないんだ。分ってる。」
 警察署長と管理人!――何かあるな、健は帰りながら気になった。――S村では、まだ時々駐在所の巡査や校長へ、芋や大根や鶏を「初物《はつもの》」だと云うので、持ってゆく。所が[#「所が」に傍点]、その偉い旦那さん達が、裏では村の金持や有力者と、ちアんと結びついている。そんな事を、然し健がどんなに小作に話してやっても、分りッこがなかった。
 夜になると、近しくしている小作が、よく二三人ずつ落ち合った。――「一人で家にいたら、気が馬鹿になる。」
「どうしたら、ええべな。」
「岸野さんどう出るかな……。」
 不貞腐れて、時々酒に酔払ってくる小作も出来た。――辻褄の合わないことを、一人で恐ろしく雄弁にしゃべった。

     「ああいうのば犬ッ
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