……。」
「どう出るかって?――」
 後《あと》は笑談のように笑いながら、
「そんなこと岸野の農場で十年も小作をしていれば、もう分ってもいい頃だろう――なア!」
 皆笑ってしまった。
 聞き易いテキパキした調子で、時々笑わせながら、色々のことを話してくれた。
 ――秋田には「青田を売る」ということがある。それは新らしい小作戦術で、立毛差押や立入禁止など喰らいそうに思うと、小作人が先手を打って、夏頃に、出穂を予想して、青田のうちに商人に売ってしまうのだった。金にして持ってしまえば、こっちのものだった。――どうだい、やってみないか、と荒川が笑談のように云った。
 近辺の農村を廻って歩いていると、農村の生活水準がだんだん下って行くのが分る。益※[#二の字点、1−2−22]下がって行く。いくら村長や警察署長が「農村の美風」をかついで、ムキになったって、食えなくなれば、どうしても地主様に「手向い」しなければならなくなる。
 それに、こうなって来ると、困るのは水呑み百姓ばかりでなしに、なまじッか十町、二十町歩位の田畑を持っている「地主」で、反当りで計算してみても、灌漑費、排水費、反別割、其他の税金、生活費用を見積ると、そこから上る六、七斗の小作料では引き合わなくなってきていた。――田に修繕を加えて、少しでも上り高を多くしようとすれば、どうしてもそれを拓殖銀行へ抵当に入れて「年賦償還」の貸付けを受けなければならない。だが、そうすれば、今度は益※[#二の字点、1−2−22]引き合わなくなる。大地主の存在がジリジリと圧迫していた。小作人より苦しんでいた。その癖、俺は地主様だという気持を、どうしても無くしない。どんなにヒッつぶれても、小作人達と同じ人間にされてたまるもんか、そう思っている。
 健の家と川を隔てて向い合っている越後から移転してきている広瀬がそれだった。――首がギリギリに廻らなくなっているのに、土地も自分のものでなくなっているのに、自分の子供が由三達と遊ぶことを嫌った。――「なんぼ成り下がったって……。」
 荒川は硫黄分でインキのように真黒になっているお茶を飲みながら、内地の農民の話をした。――内地では、小作争議で「ドンツキ」をやる。小作人が地主を無理矢理ひっぱってきて、逆さにつるして灌漑溝の水につけたり、上げたりやる。然し北海道のように、小作と一緒に村に住んでいる地主がい
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