壊れて行った。仕方のなくなった父親は「岸野農場」の小作に入ったのだった。
「日雇にならねえだけ、まだええべ。」

     村に地主はいない

 何処の村でも、例外なく、つぶれかかっている小作の掘立小屋のなかに「鶴」のようにすっきり、地主の白壁だけが際立っているものだ。そしてそこでは貧乏人と金持が、ハッキリ二つに分れている。然し、それはもう「昔」のことである。
 北海道の農村には、地主は居なかった。――不在だった。文化の余沢が全然なく、肥料や馬糞の臭気がし、腰が曲って薄汚い百姓ばかりいる、そんな処に、ワザワザ居る必要がなかった。そんな気のきかない、昔型の地主は一人もいなかった。――その代り、地主は「農場管理人[#「農場管理人」に傍点]」をその村に置いた。だから、彼は東京や、小樽、札幌にいて、ただ「上《あが》り」の計算だけしていれば、それでよかった。――S村もそんな村だった。
 岸野農場の入口に、たった一軒の板屋の、トタンを張った家が吉本管理人の家だった。吉本は首からかぶるジャケツに背広をひっかけ、何時でも乗馬ズボンをはいて歩いていた。
「この村では、俺《わし》を地主だと思ってもらわにゃならん。」
 初めて来たとき、小作を集めてそう云った。

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S村――田の所有分布。
 二百町歩――S村所有田
 百五十町歩――大学所有田・「学田《がくでん》」
 百二十町歩――吉岡(旭川)
 五百町歩――岸野(小樽)
 二百町歩――馬場(函館)
 二百十町歩――片山子爵(東京)
 三百町歩――高橋是善(東京)
外ニ、自作農五戸、百五十町歩。
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     「巡査」と「※[#「┐<△」、屋号を示す記号、256−上−12]の旦那」

 市街地には、S村青年団、S村処女会があって、小学校隣接地に「修養倶楽部」を設け、そこで色々な会合や芝居をやる。――会長は校長。副会長には「在郷軍人分会長」をやっている※[#「┐<△」、屋号を示す記号、256−上−16]荒物屋の主人。巡査。それに岸野農場主が名誉相談役となっていた。――健達の通っている「青年訓練所」も、その「修養倶楽部」で毎晩七時からひらかれていた。
 巡査は一日置きに自転車で、「停車場のあるH町」に行ってきた。――おとなしい、小作の人達にも評判のいい若い巡査だった。途中、よく自転車を道端に置き捨て
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