きながら、コップの「もッきり[#「もッきり」に傍点]」を飲んだ。
 大概の百姓は帰りに寄って「もッきり」をひっかける。――店先には百姓の馬車が何台もつながれていた。牝馬が多い。たまに牡馬が通ると、いななきながら前立ちになり、暴れた。荒物屋の中から、顔を赤くした百姓が飛び出して来て、牝馬を側《わき》の方へ引張って行った。
「のべ源」はここで酔いつぶれると、そのまま白首《ごけ》のいる「そば屋」へ行った。――女達は「のべ源」を知っていた。――そして、イヤがった。酔うと、丸太のような腕で女をなぐりつけた。女が襖の足を払い、チャブ台をひっくりかえし、障子を倒して階段を芋俵のように転げ落ちたことがあった。
「のべ源」の馬はひっそりとした通りに、次の朝までつながれッ放しになっていた。

     「来世」

 毎年の例で、小樽から「偉い坊さん」を呼んで、S村龍徳寺で、四五日間説教が開かれた。――龍徳寺の前には、岸野や吉岡などの大地主や、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、308−下−5]、吉本などの寄附金の「芳名録」の札がズラリと立っている。岸野は「金壱千円也」出していた。――小樽から坊さんを呼ぶのも、主に岸野のつて[#「つて」に傍点]だった。
 年寄りはその日を、子供がお祭りを待つより待っていた。
 その日、年寄りはしまって置いたゴワゴワな手織の着物をきて、孫娘に手をひかせて出掛けた。――畦道を、曲った錆釘のように歩いて行った。健の母親も決して欠かしたことがなかった。
「……現世は苦しい――嫌なこと、悲しいこと、涙のにじむようなこと、淋しいことで満ち満ちている。だが、これも前世イからの約束事、何事も因果の致すところじゃ、そう思オ――て、しのばにゃならない。――お釈迦様はそうおっしゃッていなさる。」
 坊さんはそう云う。年寄達は一句切れ、一句切れ毎に、「南無阿弥陀仏」を繰りかえした。
「……その代り、あみだ様のお側にお出になったとき、始めて極楽往生を遂げることが出来る。あ――あ、お前も人間界にいたときは苦しんだ。然し何事も仏様の道を守って、一口も不平を云うことなく、よくこらえて来た、もう大丈夫じゃ、さ、手を合わせて、こういう風に合わせて、たった一言、ナムアムダブツ、そう称えさえすれば大安心を得ることが出来るのじゃ。蓮華の花の上に坐ることが出来るようになるのじゃ……。」
「有難いお言
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