お母さんが靴を出してやらないと妙にウロ/\したり、帽子をかぶるのを忘れて、あわてたそうよ。
 夜が明けてから、お前が可愛がって運動に入れてやった「中島鉄工所」の上田のところへ、母が出掛けて行ったの。若しも上田の進ちゃんまでやら[#「やら」に傍点]れたとすれば、事件としても只事でない事が分るし、又|若《も》しまだやっ[#「やっ」に傍点]て来ていないとすれば、始末しなければならない事もあるだろうし、直《す》ぐ知らせなければならない人にも、知らせることが出来ると思ったからである。争われないものだ、お前の母は今ではこういうことに気付くのだ。――母がたずねて行くと、薄暗い家の奥の方で、進ちゃんのお母さんが髪をボウ/\とさせ、眼をギラ/\と光らせて坐っていた。母が入ってきたのを見ると、いきなり其処《そこ》へ棒立になって、「この野郎[#「野郎」に傍点]ッ! 一歩でも入ってみやがれ、たゝッき殺すぞ!」と大声で叫んだそうだ。母は何が何んだか、わけが分らず、「あのね…………」と云い出すと、「畜生ッ! 入るか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」と云って、そこにあったストーヴを掻《か》き廻《まわ》す鉄のデレッキを振りあげた。母は真青になって帰ってきた。

 この冬は本当に寒かったの。留置場でもストーヴの側の監房は少しはよかったが、そうでない処《ところ》は坐ってその上に毛布をかけていても、膝がシン/\と冷たくなる。朝眼をさますと、皆の寝ている起伏の上に雪が一杯ふりかゝっているので吃驚《びっくり》するが、それは雪が吹きこんできたのではなくて、(それもあったが)夜中に空気中に残っているありとあらゆる湿気がみんな霜に還元されるのである。なか[#「なか」に傍点]のものは次々と凍傷を起して行った。
 お前の母ばかりでなしに、沢山《たくさん》の母たちが毎日のように警察に出掛けて行ったが、母はそこでよく子供を負《お》んぶした労働者風のおかみ[#「おかみ」に傍点]さんと会った。最初はどこの係りにやってくるのか分らなかったが、そのうち特高室で待っているところへ、そのおかみ[#「おかみ」に傍点]さんが入ってきた。それで同じ事件の人だということが分った。――帰りに一緒になって、母が色々なことを話そうと思い、お前や妹の母だという事を知らせた。すると、急に眼をみはって、マジ/\としながら、「んじゃ、お前さんが伊藤のお
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