夫に会って来たことを話した。
 赤ん坊の顔を見て、「後取りが出来た、これで俺も安心だ」と云った所に話が行くと、皆は息をのんだ。誰かゞソッと側の方を向いて、鼻をかんだ。ある者は何か云おうとしたが、唇がふるえて云えなかった。皆は一言も云わなかった。――然し皆の胸の中には固い、固い決意が結ばれて行った。
         *
 メリヤス工場では又々首切りがあるらしかった。何処を見ても、仕事がなくて、食えない人がウヨウヨしていた。お君はストライキの準備を進めながら、暇を見ては仕事を探して歩いた。この頃では赤ん坊の腹が不気味にふくれて、手と足と頸が細って行き、泣いてばかりいた。――お君は気が気でなかった。――何事があろうと、赤子を死なしてはならないと思った。
 資本家は不景気の責任を労働者に転嫁して、首切りをやる。それを安全にやるために、われ/\の前衛を牢獄につないで置くのだ、――今になって見ると、お君にはそのことがよく分った。メリヤス工場でもその手をやっていたのだ。今夫が帰って来てくれたら!
 職業紹介所の帰りだった。お君はフト電信柱に、「共産党の公判が又始まるぞ。ストライキとデモで我等の前衛を奪カンせよ!」と書かれているビラを見た。ストライキとデモで……お君は口の中でくりかえして見た……我等の前衛を奪カンせよ。――日本中の工場がみんなその為にストライキを起したら、そうだ、その通りだと思った。お君は不意に走り出した。何かジッとしていられない気持になったのだ。皆の所へ行かなければならないと思った。
「さ、坊や、お父ちゃんが帰ってくるんだよ。お父ちゃんが!![#「!!」は一文字、面区点番号1−8−75、454−下12]」
 お君は背中の子供をゆすり上げ上げ、炎天の下を走った。



底本:「日本プロレタリア文学集・20 「戦旗」「ナップ」作家集(七)」新日本出版社
   1985(昭和60)年3月25日初版
   1989(平成元)年3月25日第4刷
底本の親本:「小林多喜二全集第三巻」新日本出版社
初出:「労働新聞」1931年9月3日号
入力:林 幸雄
校正:ちはる
2002年1月14日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの
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