しないことにしている。途中が危険だからである。――私は須山とも別れ、独りになり帰ってくると、ヒゲのことが自分でも意外な深さで胸に喰い込んでいることを知った。私は何んだか歩くのに妙な心もとなさを覚えた。膝《ひざ》がゆるんで、息切れさえするようである。――普通の境遇で生活をしている人には、こういう時の私のこんな現象が幾分の誇張とウソを伴っているとみるかも知れない。然《しか》し外部からすべてを遮断され、個人的な長い間の友達とも全部交渉を断ってしまい、一寸《ちょっと》お湯へ行くのにもウッかり出ることが出来ず、且《か》つ捕かまったら少なくとも六年七年は行く身体では、頼りになるのは同志ばかりである。それは一人でも同志が奪われてみると、その間をつないでいた私達の気持の深く且つ根強かったことを感ずる。それがしかも私達を何時《いつ》でも指導してきていた同志の場合、特にそうである。――以前ある反動的組合のなかで反対派として合法的に活動していた時は、同じことがあってもこれ程でもなかった。その時は矢張り争われず、日常の色々な生活がそれをまぎらしていたからであろう。
下宿には太田が待っていた。――私は自分のアジトを誰にも知らせないことにしていたが、上《うえ》の人との諒解《りょうかい》のもとに一人だけに(太田に)知らせてあった。それは倉田工業で仕事をするためには、どうしても専任のものを一人きめて、それとは始終会う必要があった。外で会っているのでは即刻のことには間に合わなかったし、又充分なことが(色々な問題について納得が行くようには)出来なかった。
太田は明日入れるビラについて来ていた。それで私はさっきSと打ち合わせてきたことを云い、明朝七時T駅の省線プラットフォームに行って貰うことにした。そこへSがやって来て、ビラを手渡すことになっていた。
急ぎの用事を済ましてから、私達は少し雑談をした。「雑談でもしようか」ニコ/\そう云い出すと、「得意のやつ[#「やつ」に傍点]が始まったな!」と太田が笑った。用事を片付けてしまうと、私は殆《ほと》んどきまって「雑談をしようか」と、それも如何《いか》にも楽しそうに云い出すので、今ではそれは私の得意の奴という事になっていた。ところが、私は此頃になって、自分がどうして「雑談」をしたがるのか、その理由《わけ》に気付いた。――私たちは仕事のことでは殆《ほと》んど
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