動写真の存在ということをすッかり忘れてしまっている!)飲み食いが私の生活の尠《すく》なからざる部分を占めていた。時にはこういう生活から、工細としての仕事を一二日延ばしたりしたことがあった。又自分だけの名誉心が知らずに働いていて、自分の名誉を高めるような仕事と工細の仕事と食い合ったとき、つい[#「つい」に傍点]自分の方のことから先きに手がついたことが一再ならずあった。これは勿論《もちろん》その後の仕事のなかで変ってきたが、それでも党員としての「廿四時間の政治生活」を私がしていたとは云えなかった。然しそれは私にばかり罪があるのではない。一定の生活が伴わない人間の意識的努力には限度がある。一切の個人的交渉が遮断され、党生活に従属されない個人的欲望の一切が規制される生活に置かれてみて、私が嘗《か》つて清算しよう清算しようとして、それがこの上もなく困難だったそれらのことが、極めて必然的に安々と行われていたのを知って驚いた。それはこれまでの一二カ年間の努力を二三カ月に縮めて行われた。と云うことが出来る。始めこの新しい生活は、小さい時誰が一番永く水の中に潜ぐっているかという競争をした時のような、あの堪えられない何んとも云えない、胸苦しさを、感じはしたが。――だが、勿論私はまだ本当の困難に鍛錬されてはいない。須山とちがった切抜《スクラップ》の好きなSは、私の「廿四時間の政治生活」というのに対して、「一日を廿八時間に働いても疲れを知らないタイプ」に自分を鍛えなければ駄目だと云っている。
一日を廿八時間に働くということが、私には始めよくは分らなかったが、然し一日に十二三回も連絡を取らなければならないようになった時、私はその意味を諒解《りょうかい》した。――個人的な生活が同時に階級的生活であるような生活、私はそれに少しでも近附けたら本望である。
倉田工業は、臨時工の若干を本工に直すかも知れないという噂《うわ》さで、最後のピッチを挙げていた。私たちはそれにそなえるために、細胞の再編成をやることにした。須山のグループ(影響下)から一人、それは若い本工だった、それから伊藤のグループから二人、そのうち一人は本工、一人は臨時工だった、この三人を新しく細胞に推薦することにして、「履歴」を取った。私はそれを「オル」に持って行き、承認を得た。そして各細胞に対しては職場内での責任を明確に分担して背負わ
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