ーンとなった。誰の息づかいも聞えない。
土佐犬はウオッと叫ぶと飛びあがった。源吉は何やら叫ぶと手を振った。盲目《めくら》が前に手を出してまさぐる[#「まぐさる」に傍点]ような恰好《かっこう》をした。犬は一と飛びに源吉に食いついた。源吉と犬はもつれあって、二、三回土の上をのたうった。犬が離れた。口のまわりに血がついていた。そして犬は親分のまわりを、身体をはねらしながら二、三回まわった。源吉は倒れたままちょっとの間ピクッピクッと動いていた。がフラフラと立ち上った。と土佐犬は吠《ほ》えもせず飛びかかった。源吉はひとたまりもなくはね飛ばされて、空地を区切っている塀に投げつけられた。犬はまたせまった! 源吉は犬の方に向きなおった。そして塀《へい》に背をもたせ、背中でずって立ち上った。皆んな思わずその方を見た。こっちに向けた顔はすっかり血だらけで分らなかった。その血が顎《あご》から咽喉《のど》を伝って、すっかりムキだしにされて、せわしくあえいでいる胸を流れるのが分かった。立ち上ると源吉は腕で顔をぬぐつた、犬の方を見定めようとするようだった。犬は勝ち誇ったように一吠え吠えると、瞬間[#「瞬間」に傍点]、源吉は分けの分らないことを口早に言ったか、と思うと、
「怖《おっ》かない! オッ母ッ!」と叫んだ。
そしてグルッと身体を廻すと、猫《ねこ》がするように塀をもがいて上るような恰好をした。犬がその後から喰らいつた。
* *
その晩棒頭が一人つき添って土方二人が源吉の死骸《しがい》をかついで山へ行った。穴をほってうずめた。月夜で十勝岳が昼よりもハッキリ見えた。穴の中にスコップで土をなげ入れると、下で箱にあたる音が不気味に聞えた。
帰りに一人が、ちょうど棒頭の小便をしていた時、仲間に「だが、俺ァなあキットいつかあの犬を殺してやるよ……」と言った。
底本:「日本文学全集43 小林多喜二 徳永直集」集英社
1967(昭和42)年12月12日発行
入力:林 幸雄
校正:浅原庸子
2005年1月16日作成
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