に圧倒されていた。だから、今「H・S」が一緒になれば、日本に於ける製罐業を安全に独占出来るのだった。――その製品を全国的に「単一化」して生産能率を挙げることも、技術や工場設備の共通的な改良整理も出来、人員の節約をし、殊にその販売の方面では、今迄無駄に惹《ひ》き起された価格の低下を防いで、独占価格を制定し思う存分の利潤をあげることも出来るのだった。――だから、三田銀行が今迄とっていたような「単純な支配」ではなしに、金菱が積極的に事業そのものゝ中に、ドカドカと干渉してくることは分りきっていた。――これは職工たちの恐れていた「産業の合理化」が直接《じか》に、そして極めて惨酷に実行されることを意味していた。工場はその噂でザワ[#「ザワ」に傍点]めいていた。
然し問題はもっと複雑だった。
――今度のことでは、君、専務や支配人、工場長こいつ等の方が蒼白《まっさお》になってるんだぜ。
と、引継のために新しい銀行に提出する書類の作成で、事務所に残って毎日夜業をやらせられている笠原が云った。
――金菱では自分の系統から重役や重《おも》だった役員を連れてきて、あいつ等を追っ払う積りらしいんだ。然しあゝなると、あいつ等も案外モロイもんだ。――然し問題は面白くなるよ。死物狂いで何か画策してるらしい。
然し何時でも側にいる笠原には、大体その見当がついていた。――彼等は、金菱の悪ラツ[#「ラツ」に傍点]な進出が如何に全工場の「親愛なる」職工を犠牲にし、その生活を低下させ、「Yのフォード」を一躍「Yの監獄部屋」にまで蹴落《けおと》してしまうものであるか、と煽動し、全従業員の一致的行動によって、没落に傾いている自分達の地位を守ろうとでもするらしかった。
――どうも一寸ひッかゝりそうだな。
と笠原が云った。
――然し金菱にかゝったら、いくら専務がジタバタしようが、桁《けた》から云ったって角力《すもう》にならない。これからは「金融資本家」と結びついていない「産業資本家」はドシ/\没落してゆくんだ。度々あるいゝ手本だよ。そう云えば※[#「┐<辰」、屋号を示す記号、82−3]《かなたつ》鈴木だって、手はこれと同じ手を喰らわされたんだ。金融資本制覇の一つの過程だな。
そればかりでなく、「H・S」の製罐数の大部分は親会社である「日露会社」に売込まれて、カムチャツカに出ていた。それで、一方にはソヴエート・ロシアの「五カ年計画」の進出、他方には国内資本家間の無駄な競争に、何時でもおびやかされていた。漁区落札数の増減はテキ[#「テキ」に傍点]面に生産高にひゞいた。――「H・S」はそれに備えるために、政府を動かして、国民一般の愛国心とソヴエート・ロシアに対する敵慨心《てきがいしん》を煽り立てなければならなかった。
今年は更にロシアが組織的に、色々な手段を借りて、わが優良漁区の蚕食をやるという確実な噂さが立っていた。「日露」と「H・S」の株価は傾きかけた水のように暴落していた。
『H・S』のそういう情勢に対しては、河田は「工場細胞」の積極的な活動、「ニュース」による暴露、煽動、新しい「細胞」の獲得は云うまでもないとして、更にこの当面の「戦々兢々」たる動揺をつかんで、職工が労働者としての自分の立場と利益を擁護するために、
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「工場委員会[#「工場委員会」に傍点]」の自主化[#「の自主化」に傍点]
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の闘争を起すように努力しなければならない事を提議した。
労働者がどんな資本の「攻勢」にもグイと持ちこらえ得るためには、何より工場全部の労働者が「足並」を揃えることだった。職場《もちば》、職場で態度がチグハグなために、滅茶々々にされることはめずらしくないのだ。それは彼等が色々な問題について、工場の全部にわたって充分に討議する「機関」を持っていないところから来ていた。――その機関として、自主的な工場委員会が必要なのだ。今のところ、それは工場長や、社員できめた役付職工や去勢された職工によって、勝手にされている。我々はそれを労働者の利益のための機関として、労働者によって組織されることを要求しなければならない。――それが可決されて、時期、方法その他の具体案が長い時間かゝって、慎重に練られた。
それから他の代表者の情勢報告があった。
運輸労働者のストライキには、そのかゝげる「要求」の中に、必ず工場労働者をも動かし得るような「条項」を入れること。それには工場細胞が全力をあげて、それと工場独特の問題と結びつけて、宣伝、煽動をまき起すこと等が決議された。
終ると、河田は仰向けに後へひッくりかえった。
――これで俺三日ばかり碌《ろく》に寝てないんだ。
河田は特に警察の追求をうけていた。転々と居場所をかえて、逃げまわっていた。そし
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