彼も何気ない様子を装って、その男と同じ方へ歩き出した。彼から口を切った。
 ――山[#「山」に傍点]田です。
 すると、背広の男は直ぐ
 ――川[#「川」に傍点]村。
 と云った。
「山」と「川」が合った。二人は人通りのあまり多くない河|端《ぶち》を下りて行った。少し行くと、男が、
 ――何処か休む処がないですか。
 と云った。
 ――そうですね。
 河田は両側を探して歩いた。そして小さいレストランの二階へ上った。
 テーブルに坐ると、男がポケットから三銭切手を出した。その 3sn の 3 がインクで消されていた。河田もさっきの三銭切手を出して、その sn の方を消した。二人は完全に「同志」であることが分った。――男は中央から派遣されてきた党のオルガナイザーだった。
 河田はY地方の情勢や党員獲得数などを、そこで話し出した。

          八

 鈴木は少しでも長く河田や石川などゝいることに苦痛を覚えた。彼は心が少しも楽しまないのだ。誇張なしに、彼は自分があらゆるものから隔てられている事を感じていた。そしてその感情に何時でも負かされていた。――およそ、プロレタリヤ的でない! 然し自分は一体「運動」を通じて、運動をしているのか、「人」を信じて運動をしているのか? 河田や石川が自分にとって、どうであろうと、それが自分の運動に対する「気持」を一体どうにも変えようが無い筈ではないか。――又変えてはならないのだ。そうだ、それは分る。然し直ぐ次にくるこの「淋しさ」は何んだろう? ――彼はもう自分が道を踏み迷っていることを知っていた。
 理論的にも、実践的にも、それに個人的な感情の上からでも、あせっている自分の肩先きを、グイ/\と乗り越してゆく仲間を見ることに、彼は拷問にたえる以上の苦痛を感じた。こういう迷いの一ッ切れも感じたことのないらしい他の同志を、彼はうらやましく思った。――然し彼はこういう無産運動が、外から見る程の華々しい純情的なものでもなく、醜いいがみ合いと小商人たちより劣る掛引に充ちていることを知った。それは彼に恐ろしいまでの失望を強いた。
 ――運動ではお前は河田達の先輩なんだぜ。
 その言葉の陰は「それでも口惜《くや》しくないのか。」と云っていた。それは撒ビラのことで、二十九日食ったときの事だった。然しそんな事を云うのは、よく使われる特高係の「手」であるこ
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