始め「ホオッ!」と思った。皆が服の袖に手を通しながら、その前に立っていた。
[#ここから3字下げ、罫囲み]
告
皆サンモ知ッテイル通リ、本日何者カヾ当工場ニ「失業者大会」ノビラ[#「ビラ」に傍点]ヲ撒イテ行キマシタ。云ウマデモナク最近ノ不況ハドシ/\失業者ヲ街頭ニ投ゲ出シテ居リ、ソレハ全く見ルニ忍ビナイモノサエアルノデス。然シ我工場ハ幸イニシテ、皆サンノ勤勉努力にヨッテ、ソノ些々タル影響モ受ケテイナイノデアリマス。一度工場外ニ足ヲフミ出シテ見レバ分ル通リ、当工場ハマサニ「Yノフォード[#「Yノフォード」に傍点]」タル名ニ恥シクナイ充分ノ待遇ヲ、ソノ時間ノ点カラ云ッテモ、ソノ賃銀ノ上カラ云ッテモ、皆サンニ与エテ居ルノデアリマスカラ、コノ際決シテ、カヽル宣伝ニ附和雷同セザル様、呉々モ申述ベテ置ク次第デアリマス。
右[#地から1字上げ]工場長
[#ここで字下げ終わり]
森本はそれを読むのに何故かあせり[#「あせり」に傍点]を感じて、字を飛ばした。
――チエッ! 行きとゞいてやがる!
彼はその言葉が、自分ながら不覚にもかぶと[#「かぶと」に傍点]を脱いだ心のゆるみを出しているのにハッとした。彼は油っぽい形のくずれた鳥打ちを無雑作にかぶった。
工場の前の狭い通りを、その幅を一杯にみたして、職工や女工が同じ方向へ流れていた。彼はその中に入りながら、独《ひと》りであることのうそ寒さを感じていた。
運河の鉄橋を渡ると、税関や波止場、水上署、汽船会社、倉庫続きの浜通りだった。――浜人夫がタオ/\としわむ「歩板《あゆみ》」を渡って、艀から荷降しをしていた。然し所々に何人もの人夫が固まって、立っていた。それ等の労働者は瀬戸を重ねた大きな弁当を、地べたにそのまゝ置いたり、ぶら下げたり、他の人達の働いているのを見ていた。――「あぶれた」人夫達だった。
夏枯《なつがれ》時で、港には仕事らしい仕事は一つもないのだ。市役所へおしかけようとしている連中がそれだった。岸壁につながっている艀はどの艀も死んだ鰈を思わせた。桟橋《さんばし》に近い道端に、林檎《りんご》や夏|蜜柑《みかん》を積み重ねた売子が、人の足元をポカンと坐って見ていた。
その「あぶれた」人足たちは「H・S工場」の職工達が鉄橋を渡ってくるのを見ていた。ありありと羨望の色が彼等の顔をゆがめていた。「H・S」の職工た
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