《ふところ》に入って行くか。いいか、俺達がこの一夏ここで働いて、それで一体どの位金が入ってくる。ところが、金持はこの船一艘で純手取り四、五十万円ッて金をせしめるんだ。――さあ、んだら、その金の出所だ[#「その金の出所だ」に傍点]。無から有は生ぜじだ。――分るか。なア、皆んな俺達の力さ。――んだから、そう今にもお陀仏するような不景気な面《つら》してるなって云うんだ。うんと威張るんだ。底の底のことになれば、うそでない、あっちの方が俺達をおッかながってるんだ。ビクビクすんな。
水夫と火夫がいなかったら、船は動かないんだ。――労働者が働かねば、ビタ一文だって、金持の懐にゃ入らないんだ。さっき云った船を買ったり、道具を用意したり、仕度をする金も、やっぱり他の労働者が血をしぼって、儲けさせてやった――俺達からしぼり取って行きやがった金なんだ。――金持と俺達とは親と子なんだ……」
監督が入ってきた。
皆ドマついた恰好《かっこう》で、ゴソゴソし出した。
十
空気が硝子《ガラス》のように冷たくて、塵《ちり》一本なく澄んでいた。――二時で、もう夜が明けていた。カムサツカの連峰が金紫色に輝いて、海から二、三寸位の高さで、地平線を南に長く走っていた。小波《さざなみ》が立って、その一つ一つの面が、朝日を一つ一つうけて、夜明けらしく、寒々と光っていた。――それが入り乱れて砕け、入り交れて砕ける。その度にキラキラ、と光った。鴎の啼声が(何処《どこ》にいるのか分らずに)声だけしていた。――さわやかに、寒かった。荷物にかけてある、油のにじんだズックのカヴァが時々ハタハタとなった。分らないうちに、風が出てきていた。
袢天《はんてん》の袖に、カガシ[#「カガシ」に傍点]のように手を通しながら、漁夫が段々を上ってきて、ハッチから首を出した。首を出したまま、はじかれたように叫んだ。
「あ、兎《うさぎ》が飛んでる。――これア大|暴風《しけ》になるな」
三角波が立ってきていた。カムサツカの海に慣れている漁夫には、それが直《す》ぐ分る。
「危ねえ、今日休みだべ」
一時間程してからだった。
川崎船を降ろすウインチの下で、其処《そこ》、此処《ここ》七、八人ずつ漁夫が固まっていた。川崎船はどれも半降ろしになったまま、途中で揺れていた。肩をゆすりながら海を見て、お互云い合っている。
一寸した。
「やめたやめた!」
「糞《くそ》でも喰《くら》らえ、だ!」
誰かキッカケにそういうのを、皆は待っていたようだった。
肩を押し合って、「おい、引き上げるべ!」と云った。
「ん」
「ん、ん!」
一人がしかめた眼差《まなざし》で、ウインチを見上げて、「然《しか》しな……」と躊躇《ため》らっている。
行きかけたのが、自分の片肩をグイとしゃくって、「死にたかったら、独《ひと》りで行《え》げよ!」と、ハキ出した。
皆は固《かたま》って歩き出した。誰か「本当にいいかな」と、小声で云っていた。二人程、あやふやに、遅れた。
次のウインチの下にも、漁夫達は立ちどまったままでいた。彼等は第二号川崎の連中が、こっちに歩いてくるのを見ると、その意味が分った。四、五人が声をあげて、手を振った。
「やめだ、やめだ!」
「ん、やめだ!」
その二つが合わさると、元気が出てきた。どうしようか分らないでいる遅れた二、三人は、まぶしそうに、こっちを見て、立ち止っていた。皆が第五川崎のところで、又一緒になった。それ等を見ると、遅れたものはブツブツ云いながら後から、歩き出した。
吃りの漁夫が振りかえって、大声で呼んだ。「しっかりせッ!」
雪だるまのように、漁夫達のかたまり[#「かたまり」に傍点]がコブをつけて、大きくなって行った。皆の前や後を、学生や吃りが行ったり、来たり、しきりなしに走っていた。「いいか、はぐれないことだど! 何よりそれだ。もう、大丈夫だ。もう――!」
煙筒の側に、車座に坐って、ロープの繕いをやっていた水夫が、のび上って、
「どうした。オ――イ?」と怒鳴った。
皆はその方へ手を振りあげて、ワアーッと叫んだ。上から見下している水夫達には、それが林のように揺れて見えた。
「よオし、さ、仕事なんてやめるんだ!」
ロープをさっさと片付け始めた。「待ってたんだ!」
そのことが漁夫達の方にも分った。二度、ワアーッと叫んだ。
「まず糞壺さ引きあげるべ。そうするべ。――非道《ひで》え奴だ。ちゃんと大|暴風《しけ》になること分っていて、それで船を出させるんだからな。――人殺しだべ!」
「あったら奴に殺されて、たまるけア!」
「今度こそ[#「今度こそ」に傍点]、覚えてれ!」
殆《ほと》んど一人も残さないで、糞壺へ引きあげてきた。中には「仕方なしに」随《つ》いて来たものもいるにはいた。
――皆のドカドカッと入り込んできたのに、薄暗いところに寝ていた病人が、吃驚《びっくり》して板のような上半身を起した。ワケを話してやると、見る見る眼に涙をにじませて何度も、何度も頭を振ってうなずいた。
吃りの漁夫と学生が、機関室の縄梯子《なわばしご》のようなタラップを下りて行った。急いでいたし、慣れていないので、何度も足をすべらして、危く、手で吊下《つりさが》った。中はボイラーの熱でムンとして、それに暗かった。彼等はすぐ身体中汗まみれになった。汽罐《かま》の上のストーヴのロストルのような上を渡って、またタラップを下った。下で何か声高《こわだか》にしゃべっているのが、ガン、ガ――ンと反響していた。――地下何百尺という地獄のような竪坑《たてこう》を初めて下りて行くような無気味さを感じた。
「これもつれえ[#「つれえ」に傍点]仕事だな」
「んよ、それに又、か、甲板さ引っぱり出されて、か、蟹たたきでも、さ、されたら、たまったもんでねえさ」
「大丈夫、火夫も俺達の方だ!」
「ん、大丈――夫!」
ボイラーの腹を、タラップでおりていた。
「熱い、熱い、たまんねえな。人間の燻製《くんせい》が出来そうだ」
「冗談じゃねえど。今火たいていねえ時で、こんだんだど。燃《た》いてる時なんて!」
「んか、な。んだべな」
「印度《インド》の海渡る時ア、三十分交代で、それでヘナヘナになるてんだとよ。ウッカリ文句をぬかした一機が、シャベルで滅多やたらにたたきのめされて、あげくの果て、ボイラーに燃かれてしまうことがあるんだとよ。――そうでもしたくなるべよ!」
「んな……」
汽罐《かま》の前では、石炭カスが引き出されて、それに水でもかけたらしく、濛々《もうもう》と灰が立ちのぼっていた。その側で、半分裸の火夫達が、煙草をくわえながら、膝《ひざ》を抱えて話していた。薄暗い中で、それはゴリラがうずくまっているのと、そっくりに見えた。石炭庫の口が半開きになって、ひんやりした真暗な内を、無気味に覗《のぞ》かせていた。
「おい」吃りが声をかけた。
「誰だ?」上を見上げた。――それが「誰だ――誰だ、――誰だ」と三つ位に響きかえって行く。
そこへ二人が降りて行った。二人だということが分ると、
「間違ったんでねえか、道を」と、一人が大声をたてた。
「ストライキやったんだ」
「ストキ[#「ストキ」に傍点]がどうしたって?」
「ストキでねえ、ストライキだ」
「やったか!」
「そうか。このまま、どんどん火でもブッ燃《た》いて、函館さ帰ったらどうだ。面白いど」
吃りは「しめた!」と思った。
「んで、皆|勢揃《せいぞろ》えしたところで、畜生等にねじ込もうッて云うんだ」
「やれ、やれ!」
「やれやれじゃねえ。やろう、やろうだ」
学生が口を入れた。
「んか、んか、これア悪かった。――やろうやろう!」火夫が石炭の灰で白くなっている頭をかいた。
皆笑った。
「お前達の方、お前達ですっかり一|纏《まと》めにして貰いたいんだ」
「ん、分った。大丈夫だ。何時でも一つ位え、ブンなぐってやりてえと思ってる連中ばかりだから」
――火夫の方はそれでよかった。
雑夫達は全部漁夫のところに連れ込まれた。一時間程するうちに、火夫と水夫も加わってきた。皆甲板に集った。「要求事項」は、吃り、学生、芝浦、威張んな[#「威張んな」に傍点]が集ってきめた。それを皆の面前で、彼等につきつけることにした。
監督達は、漁夫等が騒ぎ出したのを知ると――それからちっとも姿を見せなかった。
「おかしいな」
「これア、おかしい」
「ピストル持ってたって、こうなったら駄目だべよ」
吃りの漁夫が、一寸《ちょっと》高い処に上った。皆は手を拍《たた》いた。
「諸君、とうとう来た! 長い間、長い間俺達は待っていた。俺達は半殺しにされながらも、待っていた。今に見ろ、と。しかし、とうとう来た。
「諸君、まず第一に、俺達は力を合わせることだ。俺達は何があろうと、仲間を裏切らないことだ。これだけさえ、しっかりつかんでいれば、彼奴等如きをモミ[#「モミ」に傍点]つぶすは、虫ケラ[#「ケラ」に傍点]より容易《たやす》いことだ。――そんならば、第二には何か。諸君、第二にも力を合わせることだ。落伍者を一人も出さないということだ。一人の裏切者、一人の寝がえり者を出さないということだ。たった一人の寝がえりものは、三百人の命を殺すということを知らなければならない。一人の寝がえり……(「分った、分った」「大丈夫だ」「心配しないで、やってくれ」)……
「俺達の交渉が彼奴等をタタキのめせるか、その職分を完全につくせるかどうかは、一に諸君の団結の力[#「団結の力」に傍点]に依るのだ」
続いて、火夫の代表が立ち、水夫の代表が立った。火夫の代表は、普段一度も云ったこともない言葉をしゃべり出して、自分でどまついてしまった。つまる度《たび》に赤くなり、ナッパ服の裾《すそ》を引張ってみたり、すり切れた穴のところに手を入れてみたり、ソワソワした。皆はそれに気付くとデッキを足踏みして笑った。
「……俺アもうやめる。然し、諸君、彼奴等はブンなぐってしまうべよ!」と云って、壇を下りた。
ワザと、皆が大げさに拍手した。
「其処だけでよかったんだ」後で誰かひやかした。それで皆は一度にワッと笑い出してしまった。
火夫は、夏の真最中に、ボイラーの柄の長いシャベルを使うときよりも、汗をびっしょりかいて、足元さえ頼りなくなっていた。降りて来たとき、「俺何しゃべったかな?」と仲間にきいた。
学生が肩をたたいて、「いい、いい」と云って笑った。
「お前えだ、悪いのア。別にいたのによ、俺でなくたって……」
「皆さん、私達は今日の来るのを待っていたんです」――壇には一五、六歳の雑夫が立っていた。
「皆さんも知っている、私達の友達がこの工船の中で、どんなに苦しめられ、半殺しにされたか。夜になって薄ッぺらい布団に包まってから、家のことを思い出して、よく私達は泣きました。此処に集っているどの雑夫にも聞いてみて下さい。一晩だって泣かない人はいないのです。そして又一人だって、身体に生キズのないものはいないのです。もう、こんな事が三日も続けば、キット死んでしまう人もいます。――ちょっとでも金のある家《うち》ならば、まだ学校に行けて、無邪気に遊んでいれる年頃の私達は、こんなに遠く……(声がかすれる。吃り出す。抑《おさ》えられたように静かになった)然し、もういいんです。大丈夫です。大人の人に助けて貰って、私達は憎い憎い、彼奴等に仕返ししてやることが出来るのです……」
それは嵐のような拍手を惹《ひ》き起した。手を夢中にたたきながら、眼尻を太い指先きで、ソッと拭《ぬぐ》っている中年過ぎた漁夫がいた。
学生や、吃りは、皆の名前をかいた誓約書を廻して、捺印《なついん》を貰って歩いた。
学生二人、吃り、威張んな、芝浦、火夫三名、水夫三名が、「要求条項」と「誓約書」を持って、船長室に出掛けること、その時には表で示威運動をすることが決った。――陸の場合のように、住所がチリチリバラバラになっていないこと、それに下地が充分にあったことが、スラスラと運ばせた。ウソ[
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