、北海の荒波をつッ切って行くのだということを知ってて貰わにゃならない。だからこそ、あっちへ行っても始終我帝国の軍艦が我々を守っていてくれることになっているのだ。……それを今|流行《はや》りの露助の真似《まね》をして、飛んでもないことをケシ[#「ケシ」に傍点]かけるものがあるとしたら、それこそ、取りも直さず日本帝国を売るものだ。こんな事は無い筈だが、よッく覚えておいて貰うことにする……」
 監督は酔いざめのくさめ[#「くさめ」に傍点]を何度もした。

 酔払った駆逐艦の御大[#「御大」に傍点]はバネ仕掛の人形のようなギクシャクした足取りで、待たしてあるランチに乗るために、タラップを下りて行った。水兵が上と下から、カントン袋に入れた石ころみたいな艦長を抱えて、殆んど持てあましてしまった。手を振ったり、足をふんばったり、勝手なことをわめく艦長のために、水兵は何度も真正面《まとも》から自分の顔に「唾」を吹きかけられた。
「表じゃ、何んとか、かんとか偉いこと云ってこの態《ざま》なんだ」
 艦長をのせてしまって、一人がタラップのおどり場からロープを外しながら、ちらっと艦長の方を見て、低い声で云った。
「やっちまうか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]……」
 二人は一寸息をのんだ、が……声を合せて笑い出した。

        二

 祝津《しゅくつ》の燈台が、廻転する度にキラッキラッと光るのが、ずウと遠い右手に、一面灰色の海のような海霧《ガス》の中から見えた。それが他方へ廻転してゆくとき、何か神秘的に、長く、遠く白銀色の光茫《こうぼう》を何|海浬《かいり》もサッと引いた。
 留萌《るもい》の沖あたりから、細い、ジュクジュクした雨が降り出してきた。漁夫や雑夫は蟹の鋏《はさみ》のようにかじかんだ手を時々はすがいに懐《ふところ》の中につッこんだり、口のあたりを両手で円《ま》るく囲んで、ハアーと息をかけたりして働かなければならなかった。――納豆の糸のような雨がしきりなしに、それと同じ色の不透明な海に降った。が、稚内《わっかない》に近くなるに従って、雨が粒々になって来、広い海の面が旗でもなびくように、うねりが出て来て、そして又それが細かく、せわしなくなった。――風がマストに当ると不吉に鳴った。鋲《びょう》がゆるみでもするように、ギイギイと船の何処かが、しきりなしにきし[#「きし」に傍点]
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