たよりあらば遣らむとておかれぬめり。
八日、さはる事ありて猶同じ所なり。今宵の月は海にぞ入る。これを見て業平の君の「山のはにげて入れずもあらなむ」といふ歌なむおもほゆる。もし海邊にてよまゝしかば「浪たちさへて入れずもあらなむ」と詠みてましや。今この歌を思ひ出でゝある人のよめりける、
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「てる月のながるゝ見ればあまの川いづるみなとは海にざ(ぞあイ)りける」
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とや。
九日、つとめて大湊より那波の泊をおはむとて漕ぎ出でにけり。これかれ互に國の境の内はとて見おくりにくる人數多が中に藤原のときざね、橘の季衡、長谷部の行政等なむみたちより出でたうびし日より此所彼所におひくる。この人々ぞ志ある人なりける。この人々の深き志はこの海には劣らざるべし。これより今は漕ぎ離れて往く。これを見送らむとてぞこの人どもは追ひきける。かくて漕ぎ行くまにまに海の邊にとまれる人も遠くなりぬ。船の人も見えずなりぬ。岸にもいふ事あるべし、船にも思ふことあれどかひなし。かゝれどこの歌を獨言にしてやみぬ。
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「おもひやる心は海を渡れどもふみしなければ[#「なければ」は底本では「なれば」]知らずやあるらむ」。
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かくて宇多の松原を行き過ぐ。その松の數幾そばく、幾千年へたりと知らず。もとごとに浪うちよせ枝ごとに鶴ぞ飛びかふ。おもしろしと見るに堪へずして船人のよめる歌、
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「見渡せば松のうれごとにすむ鶴は千代のどちとぞ思ふべらなる」
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とや。この歌は所を見るにえまさらず。かくあるを見つゝ漕ぎ行くまにまに、山も海もみなくれ、夜更けて、西ひんがしも見えずして、てけのこと※[#「楫+戈」、第3水準1−86−21]取の心にまかせつ。男もならはねば(二字ぬはイ)いとも心細し。まして女は船底に頭をつきあてゝねをのみぞなく。かく思へば舟子※[#「楫+戈」、第3水準1−86−21]取は船歌うたひて何とも思へらず。そのうたふうたは、
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「春の野にてぞねをばなく。わが薄にて手をきるきる、つんだる菜を、親やまほるらむ、姑やくふらむ。かへらや。よんべのうなゐもがな。ぜにこはむ。そらごとをして、おぎのりわざをして、ぜにももてこずおのれだにこず」。
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これなら
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