くげならずゐやゝかなり。
十六日、けふのようさりつかた京へのぼるついでに見れば、山崎の小櫃の繪もまがりのおほちの形もかはらざりけり。「賣る人の心をぞ知らぬ」とぞいふなる。かくて京へ行くに島坂にて人あるじしたり。必ずしもあるまじきわざなり。立ちてゆきし時よりはくる時ぞ人はとかくありける。これにも(それにもイ有)かへりごとす。よるになして京にはいらむと思へば、急ぎしもせぬ程に月いでぬ。桂川月あかきにぞわたる。人々のいはく「この川飛鳥川にあらねば、淵瀬更にかはらざりけり」といひてある人のよめる歌、
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「ひさかたの月におひたるかつら川そこなる影もかはらざりけり」。
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又ある人のいへる、
「あまぐものはるかなりつる桂川そでをひでゝもわたりぬるかな」。
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又ある人よめる、
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「桂川わがこゝろにもかよはねどおなじふかさはながるべらなり」。
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みやこのうれしきあまりに歌もあまりぞおほかる。夜更けてくれば所々も見えず。京に入り立ちてうれし。家にいたりて門に入るに、月あかければいとよくありさま見ゆ。聞きしよりもましていふかひなくぞこぼれ破れたる。家を預けたりつる人の心も荒れたるなりけり。中垣こそあれ、ひとつ家のやうなればのぞみて預れるなり。さるはたよりごとに物も絶えず得させたり。こよひかゝることゝ聲高にものもいはせず、いとはつらく見ゆれど志をばせむとす。さて池めいてくぼまり水づける所あり。ほとりに松もありき。五年六年のうちに千年や過ぎにけむ、かた枝はなくなりにけり。いま生ひたるぞまじれる。大かたの皆あれにたれば、「あはれ」とぞ人々いふ。思ひ出でぬ事なく思ひ戀しきがうちに、この家にて生れし女子のもろともに歸らねばいかゞはかなしき。船人も皆子(いイ有)だかりてのゝしる。かゝるうちに猶かなしきに堪へずして密に心知れる人といへりけるうた、
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「うまれしもかへらぬものを我がやどに小松のあるを見るがかなしさ」
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とぞいへる。猶あかずやあらむ、またかくなむ、
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「見し人の松のちとせにみましかばとほくかなしきわかれせましや」。
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わすれがたくくちをしきことおほかれどえつくさず。とまれかくまれ疾くや
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