無)こゝにて俄にうせにしかば、この頃の出立いそぎを見れど何事もえいはず。京へ歸るに女子のなきのみぞ悲しび戀ふる。ある人々もえ堪へず。この間にある人のかきて出せる歌、
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「都へとおもふもものゝかなしきはかへらぬ人のあればなりけり」。
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又、或時には、
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「あるものと忘れつゝなほなき人をいづらと問ふぞ悲しかりける」
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といひける間に鹿兒の崎といふ所に守のはらからまたことひとこれかれ酒なにど持て追ひきて、磯におり居て別れ難きことをいふ。守のたちの人々の中にこの來る人々ぞ心あるやうにはいはれほのめく。かく別れ難くいひて、かの人々の口網ももろもちにてこの海邊にて荷ひいだせる歌、
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「をしと思ふ人やとまるとあし鴨のうち群れてこそ我はきにけれ」
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といひてありければ、いといたく愛でゝ行く人のよめりける、
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「棹させど底ひも知らぬわたつみのふかきこゝろを君に見るかな」
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といふ間に楫取ものゝ哀も知らでおのれし酒をくらひつれば、早くいなむとて「潮滿ちぬ。風も吹きぬべし」とさわげば船に乘りなむとす。この折にある人々折節につけて、からうたども時に似つかはしき(をイ有)いふ。又ある人西國なれど甲斐歌などいふ。かくうたふに、ふなやかたの塵も散り、空ゆく雲もたゞよひぬとぞいふなる。今宵浦戸にとまる。藤原のとき實、橘の季衡、こと人々追ひきたり。
廿八日、浦戸より漕ぎ出でゝ大湊をおふ。この間にはやくの國の守の子山口の千岑、酒よき物どももてきて船に入れたり。ゆくゆく飮みくふ。
廿九日、大湊にとまれり。くす師ふりはへて屠蘇白散酒加へてもて來たり。志あるに似たり。
元日、なほ同じとまりなり。白散をあるもの夜のまとてふなやかたにさしはさめりければ、風に吹きならさせて海に入れてえ飮まずなりぬ。芋し(もカ)あらめも齒固めもなし。かやうの物もなき國なり。求めもおかず。唯おしあゆの口をのみぞ吸ふ。このすふ人々の口を押年魚もし思ふやうあらむや。今日は都のみぞ思ひやらるゝ。「九重の門のしりくめ繩のなよしの頭ひゝら木らいかに」とぞいひあへる。
二日、なほ大湊にとまれり。講師、物、酒などおこせたり。
三日、同じ所なり。もし風浪のしばしと惜む
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