金色《きんいろ》をした磚《かわら》を鋪《し》いてすこしの塵もなかった。老嫗は青年を伴れて遊廊《かいろう》を通って往った。遊廊の欄干も皆宝石であった。真珠の簾を垂れた窓からは薫物《たきもの》や香油の匂いがむせるようにもれてきた。その遊廊には錦繍《にしき》の衣《きもの》を着て瓊瑶《たま》の帯をした絵で見る仙女のような若い女が往来《ゆきき》していて、それが二人と擦れ違うことがあった。その若い女達は青年をじろじろと見て往った。皆笑いをかくしているようであった。中には老嫗と眼くばせするように優しい眼づかいをする者もあった。青年はここはどうしても人間界ではないと思いだした。青年は不安になってきた。
「ここは、ここは、どこでしょうか」
老嫗は青年の詞を押えつけるように言った。
「ここへ来たからには、もう何も言わないが良い、ここは人間のくる処ではありません」
人間のくる処でないというなら仙界であろう。青年の心は震えた。そこには若い女が集まっていた。老嫗はその女達の方に向って言った。
「旦那様がいらしたのに、仙妃は何故お早くお出ましにならないでしょう」
心の震えている青年の耳には、それが何のことか解らなかった。と、間もなく彩雲《あやぐも》のおりてきたように若い女の渦巻が起ってそれが二人の方に来た。その若い女の渦巻の中に背の低いずんぐりした中年の婦人がいた。それは他の女達とは比べものにならないような華麗《はなやか》な衣《きもの》を着ていた。その婦人の一行が近づいてくると、老嫗はそれに指をさしながら青年に向って言った。
「あの方が仙妃であらせられる、そそうのないように」
青年はそれを聞くとそのままそこへべったりと這いつくばってしまった。
「は」
青年の前に来た仙妃は笑って青年を見おろした。
「お起《た》ち」
青年は懼《おそ》れで一ぱいになっているので起てなかった。仙妃は手を延べて青年の片手の手首を握った。
「お前は仙縁があるから、ここへくることができた、お前を幸せにしてあげるから懼れることはない」
青年は夢の中の人のような気になって起ちあがった。仙妃は青年の手を握ったままで歩きだした。若い女達は二人を中にして歩いた。
一行はすぐ近くの室《へや》の中へ入って往った。夢の中の人のようになっていた青年は、何か言う仙妃の詞を聞いて四辺《あたり》に注意した。彼は綺麗な室に仙妃と並んで腰をかけていた。
「お前は人間界で何をしてる」
仙妃の片手は青年の肩にかかっていた。青年は懼《おそ》る懼る答えた。
「私は盗尉部《とういぶ》の下吏《したやくにん》でございます」
「名は何という」
「――といいます」
「年は幾歳」
「――でございます」
「両親があるか」
「――――」
「毎日、どんなことをしてる、面白いことがあるか」
「貧乏で、食物のことに困っておりますから、面白いことはございません」
「食物に何故困る、何でも食べる物があるではないか」
「それが貧乏人でございますから」
「それでは、私が困らないようにしてあげよう、お前には家内があるか」
「家内もございません、貧乏でございますから、持つことが能《でき》ません」
「それは可哀そうである」
「は」
「これから、もう何も困ることはない、私が幸せにしてあげる」
「有難うございます」
「そんなに、頑《かた》くるしくしないが良い、お前とは天縁がある」
仙妃は青年の肩にかけていた手にねっとりと力を籠めた。青年は初めて仙妃の顔を見た。色の青黒い眼尻の切れあがった、きりりとした男のような眼をした仙妃の顔は青年の心を軽くした。
窓の真珠の簾を照らしていた陽の光が薄れて、銀燭が青い焔を吐きだしたところで、青年と仙妃の前には肴饌《ごちそう》が並んだ。それは奢靡《ぜいたく》のかぎりをつくしたもので、何という名のものか口では言うことが能なかった。またその肴を盛ってある器も、皿も盃もみな玉からなっていた。仙妃は青年を促してその卓に着いた。二人が卓に着くと仙妃の侍女達は傍へ来て給仕をした。その侍女達の中にかの老嫗も交っていた。
侍女達は仙妃と青年に酒を注いだ。青年は不安がないでもなかったが、仙妃の態度が未だ了《おわ》らざる宿縁を続《つ》ぐ以外に何もないように見えるので、注がれるままに酒を飲み、奨《すす》めらるるままに肴を口にした。
「何人《だれ》にも遠慮はいらない、ゆっくりおあがり」
仙妃は青年の顔を楽しむようにして見ていた。
「は」
朝夕の食料に不足していた小吏の心は、仙妃よりも山海の珍味の方に往っていた。
「これをおあがり」
仙妃は青年に肴を取ってやることがあった。
「は」
青年は象牙の箸と玉の盃をおかなかった。仙妃も酒を飲んで小女《こむすめ》のようにはしゃぐことがあった。
そのうちに青年は酒にも肴にも飽いて
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング