旅烏ですから、何人《だれ》も力になってくれる者がないのです、曹邱《そうきゅう》が季布《きふ》をたすけたように」
すると少年が言った。
「私のような馬鹿者でも、おすてにならなければ、あなたのお弟子になりましょう」
孔生はひどく喜んで、
「いや、私は人の師になるほどの者じゃないのです、友達になりましょう」
と言って、それからあらためて訊いた。
「あなたの家は、久しいこと門を閉めているようですが、どうしたわけです」
すると少年が答えた。
「此所は単公子の家ですが、公子が故郷の方へ移ったものですから、久しい間空屋となっていたのです、僕《ぼく》は皇甫《こうほ》姓《せい》の者で、先祖から陝《せん》にいたのですが、今度家が野火に焼けたものですから、ちょっとの間此所を借りて住んでいるのです」
孔生はそこではじめて少年が単の家の者でないことを知った。
日が暮れても二人の話はつきなかった。そこで孔生は泊ることにして少年と榻《ねだい》をともにして寝たが、朝になってまだうす暗いうちに僮子《こぞう》が来て炭火を室の中で熾《た》きだしたので、少年はさきに起きて内寝《いま》へ入ったが、孔生はまだ夜着《よぎ》にくるまって寝ていた。そこへ僮子が入ってきて言った。
「旦那様がお見えになりました」
孔生は驚いて起きた。そこへ一人の老人が入ってきた。それは頭髪の真白な男であった。老人は孔生に向って、
「これは先生、悴が御厄介になることになりましてありがとうございます、あの子は字も下手で何も知りません、どうか友達の小児《こども》と思わずに、親類の小児のようにして、きびしくしこんでやってください」
と、ひどく礼を言った後で、きれいな着物一|襲《かさね》に貂《てん》の帽《ぼうし》と履物を添えてくれ、孔生が手足を洗い髪に櫛を入れて着更えをするのを待って、酒を出して饌《めし》をすすめた。そこの牀《こしかけ》や帷《とばり》などは何という名の物であるか解らないが、綺麗にきらきらと光って見えるものであった。
酒が数回めぐってから老人はあいさつをして、杖を持って出て往った。そして朝飯がすむと孔生は少年の皇甫|公子《こうし》に書物を教えたが、教科書として出してきた物はたいがい古い詩文で、文官試験の参考になるような当時の用にたつ学芸のものはなかった。孔生はふしぎに思って訊いた。
「試験の参考になるような物はな
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