そうしてくださるなら、その殃をのがれることはできるのです、もしそうしていただくことができないなら、小児を抱いて往ってください、まきぞえにならないように」
孔生は義に勇む男であった。孔生は、
「死ぬるなら皆でいっしょに死にましょう」
と言って公子と生死をちかった。そこで公子は孔生に剣をとって門に立っていてくれるようにと頼み、なお注意して、
「雷がどんなにはげしくっても、けっして動いてはいけませんよ」
と言った。孔生は公子の言うとおり剣を抜いて門の所へ往って立っていた。果して黒い雲が空を覆うて暗くなった。振りかえって家の方を見るとそこにあった門もなく、ただ高い塚とおおきな底の知れないような穴があるばかりであった。孔生はびっくりした。と、恐ろしい雷の音がしてそれが山岳を揺り動かした。つづいて荒い風が吹き雨が横ざまに降ってきた。それがために老樹が倒れた。孔生は眼前《めさき》がくらみ耳がつぶれるように思ったが、屹然《きつぜん》と立ってすこしも動かなかった。と、見ると、黒い絮《わた》のような煙の中に怪物の姿があって、それが尖《と》んがった牙のような喙《くち》と長い爪を見せて、穴から一人の者を攫《さら》って煙に乗って空にのぼろうとした。その着物と履物に注意すると、どうも嬌娜に似ているので、孔生は躍りあがって斬りつけた。怪物の掴んでいた者は下に落ちた。それと同時に山の崩れるような雷の音がして、孔生は仆れてとうとう死んでしまった。
間もなく空が霽《は》れた。嬌娜はしぜんと生きかえったが、孔生が傍に死んでいるのを見て大声をあげて泣いた。
「お兄さんは私のために死んじゃった、私は生きてはいられない」
そこへ松娘が出てきて、二人で孔生の死骸を舁《かつ》いで帰った。そして嬌娜は松娘に孔生の首を持ちあげさし、公子には簪《かんざし》で歯の間を開けさして、自分では頤《あご》を撮《つま》んで、舌でかの紅い丸を移し、またその口に口をやって息を吹きかけた。それがために紅い丸は気に随《したご》うて喉に入り、かくかくという響をさした。そして暫くすると孔生は生きかえったが、一族の者が前に集まっているのを見て夢の寤《さ》めたような気になった。
そこで一門が一室に集まって喜んだ。孔生は皆を塚穴の中に久しくいさしてはいけないと思ったので、皆で自分の故郷へ往こうと言った。皆がそれに賛同したが、ただ嬌娜のみ
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