いのです、あの世の人ばかりが逢ったところで、なんにも楽しみはないのです、あの世の人でよければ、若い方はいくらでもあります」
蓮香は言った。
「馬鹿ですわ、ね、え、毎日人を愛するのは、人間でさえも堪えられないのに、ましてあの世の人がね、え」
桑が訊いた。
「狐はよく人を殺すのですが、なんのためにそうするのです」
李は言った。
「人の精気を採って自分の精気をおぎなうものがそうするのです、私達はその類《たぐい》じゃないのです、だから人を害しない狐もあれば、人の害をしない鬼というものもないのです、これは陰気が盛だからですよ」
桑はこの言葉を聞いて狐も鬼も皆あることを知ったが、二人とは慣れているので、それほど駭きはしなかった。ただ息が糸のようになってつまりそうになってきたので、覚えず叫ぼうとしたが声が出ずに身をもがいた。蓮香は李をみかえって訊いた。
「どうして手あてをしたものでしょう」
李は顔を赧《あか》くしてへりくだって言った。
「すみません」
蓮香は笑った。
「なに、まだ体は強いのですから、まだやいてもいいのですよ」
李は襟を直して言った。
「もし、何処かに名医がありますなら、私がきっと癒してもらいます、それができれば、私は地の下に帰ります、もうこの世で恥をさらしません」
蓮香は嚢《ふくろ》を解いて薬を出して言った。
「私はとうから今日あることを知ってましたから、三山へ往って薬を採って、三箇月してやっと調《ととの》いました、どんな病気でも癒らないものはありません、でもこの病気の原因は、あなたですから、この薬を飲ますには、あなたの体の物を用いなくてはいけないのです、願えましょうか」
李は訊いた。
「どんなことでしょう」
蓮香は言った。
「あなたの唾ですよ、私が丸薬を出しますから、それを口に入れて唾をつけてください」
李はぽっと頬を赧くして俯向いた。その拍子にかの履を見た。蓮香は言った。
「あなたの思うとおりにできたのは、この履ですね」
李はますます慚《は》じて、其所にいるのに堪えられないようであった。蓮香はそこで丸薬を桑の口に納れ、それから李の前に出した。李はしかたなしに嘗めた。蓮香は言った。
「もう一度願います」
李はまたそれを嘗めた。そうして三四回も唾をつけた後にはじめて桑の口の中へ入れた。暫くすると桑の腹の中で雷の鳴るような音がおこった。蓮香はまた次の丸薬を出したが、それは自分が嘗めてから桑の口に納れた。桑は腹の中が火のように熱して、精神のいきいきとしてくるのを覚えた。蓮香は言った。
「これで癒った」
李は※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《とり》の鳴くのを聴いて※[#「にんべん+方」、第3水準1−14−10]※[#「にんべん+皇」、120−17]《ほうこう》として帰って往った。蓮香は桑の病後の体を養うには物を食べさせないようにしなくてはいけないので、桑が故郷へ帰ったように見せかけて、桑の友達をこさせないようにしながら、夜も昼も桑の傍にいて看護した。李も毎晩来て手助けをしながら蓮香に姉のように事《つか》えた。蓮香もまた李をいたわってやった。
桑は三箇月してもとのとおりの体になった。李は三四日おきにしかこないようになった。たまにくることがあってもちょっと桑を見ただけで帰って往った。いっしょにいてもさえない顔をしていた。蓮香はいつも留めていっしょに寝ようとしたが肯《き》かなかった。ある時桑は李の帰ろうとするのを追って往って抱きかかえて帰ってきたが、それは葬式の時に用いる茅《かや》で作った人形のように軽かった。李は逃げることができないので、とうとう着物を着たままに寝たが、その体をかがめると二尺にもたりなかった。蓮香はますます憐《あわれ》んだ。そして桑が眼を覚ました時には李はもういなかった。
後、十日あまりになったが李は再びこなかった。桑は李に逢いたいがこないので、いつも履を出して弄った。蓮香は言った。
「ほんとうに綺麗な方ですわ、女の私が見てさえ可愛いのですもの、男の方は、ね、え」
桑は、
「せんには履を弄るとすぐ来たから、疑うことは疑っていたものの、鬼ということは思わなかったよ、今、履を見てその容《さま》を思うことは、ほんとに堪えられないね」
と言って涙を流した。
その時紅花埠に章という富豪があった。十五になる燕児《えんじ》という字《おさなな》の女があって、結婚もせずに歿くなったが、一晩して生きかえり、起きて四辺を見たのち奔《はし》り出ようとした。女の父親があわてて扉を閉めて出さなかった。女は言った。
「私は通判の女の魂ですよ、桑さんに愛せられているのです、だからあすこに私の履が遺してあります、私はほんとうに鬼ですよ、私をたてこめたって何の益にもなりません」
女の父親はその言葉によりど
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング