がいて、下駄を出し、門口の戸を細目に開けて呉れる、下駄を履いて、出ようとすると、女が後から来て、半分出かけた俺の背中を、それもその皿鉢の真上を、三つ続けて、とん、とん、とんと叩いて、
(またお出でよ)
と、云って笑ったが、皿鉢|盗人《どろぼう》は承知と見えて、それっきり何も云わない、云わない筈さ、泥絵の絵具を塗ったように、金襴手の上薬がぼろぼろこぼれるという二分もしない皿鉢さ」
船は遠州灘の戸島の側を通っていた。船頭の酔がやや覚めかけて話がきれぎれになりかけた時、鼠色に見える白帆の影になった空中に、ふうわりとしたものの形が何処からともなく見えて来た。雲霧か何かが風のぐあいで吹き飛ばされて来たものだろうと、舵手《かこ》の一人がそれを見て思った。そのうちにその雲霧のようなものの影は、ふわふわと舵柄の傍へ降りて来た。その影の中には蒼白い人の顔があった。船頭が直ぐそれに眼を注《つ》けた。船頭は煙管を逆手にかまえた。
「船幽霊が来やがった」
二人の舵手《かこ》は舵柄にすがったなりで起きあがれなかった。
「船幽霊が来たぞ、船幽霊が来たぞ、壮い奴等、灰を持って来い」
船頭の大きな声がまた響いた。
「いや、俺は船幽霊じゃない、騒いでくれるな」
色の蒼白い背の高い男が船頭の前で穏かに云った。
「船幽霊でなけりゃ、何んじゃ」
「俺は、土州安芸|郡《ごおり》崎の浜の孫八と云う船頭じゃ、あと月の廿日の晩、この傍を通っておると、大|暴風雨《じけ》になって、海込めに遭い、二十人の乗組といっしょに死んでしまったのじゃ、で、頼みがあってやって来た」
「頼みと云うのはどんなことじゃ、俺にできることなら頼まれてやろう」
「それはありがたい、では、俺が海込めに遭うて、乗組二十人といっしょに、死んだと云うことを、国許へ報らしてやってくれ、頼みたいことは、このことじゃ」
「よし、この船は大阪へ寄るから、大阪の土佐邸まで知らしてやっても好いが、何も証拠が無いに、雲を掴むような知らせでは、知らして往く方も困るし、むこうも本気にしないだろう、何か証拠になるものは無いか」
「では証拠を書く、紙と硯を貸してくれ」
「よし、紙と硯があるから、書け」
船頭は舵柄に執りついて震えている舵手に云いつけた。舵手の一人は直ぐ傍の箱を手探りに執って、それを船頭の方へ出した。船頭はその箱を引き寄せて紐を解き、その蓋を開け
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