門の口には見るからに恐ろしい守衛がたくさんいた。皆牛の頭のように角のある顔の恐ろしい、それで体の青い紺色の髪の毛の、頭にも手足にももじゃもじゃと生えた者で、それがそれぞれ戟《ほこ》のような物を持っていた。それは立っている者もあれば坐っている者もあった。
二人の鬼使は前《さき》に立って往って、かの帖を一人の守衛の前にさしだした。守衛は一眼見て頷いた。
そこで一行は門の中へ入った。中からは遠濤《とおなみ》の音のような人の泣声が聞えてきた。それは物凄い、肉を刻まれ骨を砕かれる時のような叫びであった。※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]はもう足が縮《すく》んでしまった。
物凄い叫喚の場処はすぐきた。黒い霧とも壁とも判らない物に四辺《あたり》を囲まれた中に、血みどろになった人がうようよといて、それがのたうって悶掻き叫んでいた。体の皮を剥《はが》れた者、腹を裂かれた者、手を切られた者、足を切られた者、眼を剔《えぐ》られた者、舌を抜かれた者、それはもう人間の感情を持っていては、ふた眼と見ることのできないものばかりであった。※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]は眼前が暗んだようになった。
「さあ、もうすこし前へ往こう」
鬼使の一人がそう言って前の方へ歩くので、※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]は逃げ走るようにそれに随いて往った。叫喚楚毒《きょうかんそどく》の声は車の廻るように耳の中で渦を捲いていた。
※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]の眼の前に、銅のような横倒しにしてある二つの柱があって、その上に裸体の男と女が一人ずつ縛られているのが見えた。※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]はいくらか心にゆとりができていた。
門口にいた守衛のような角のある体の青い夜叉《やしゃ》が、どこからくるともなしに刀を持って出てきて、男の方に近寄るなり、いきなりその刀を男の腹に突込んで切り裂いた。男は叫ぶ間もなかった。赤黒い血が四辺に散った。と、同時にその臓腑が流れ出た。
女の方はそれを見て叫びながら縛られている手足を動かしだした。夜叉はそんなことには頓着なく、男の腹を裂いて血みどろになった刀を持って往ってまたその腹に突き刺した。女の声はばったり絶えた。その傷口からも血といっしょに臓腑が流れ出た。
そこへ他の夜叉が湯気の立っている湯を盛った大きな杓《ひしゃく》を持ってきた。※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]はあの湯をどうするだろうと思って見ていた。夜叉は男の傍へ往って裂かれた腹の上へ杓を持って往き、それを傷口へ注いだ。するとまた他の夜叉がやはり同じような湯の杓を持ってきて、それを女の腹の傷口へ注いだ。
「あれはどうするところだろう」
※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]は不思議に思って鬼使の一人に聞いた。
「あれは汚れた腹の中を洗っているところだよ」
鬼使はむぞうさに答えた。
「何故洗うだろうね」
「あの男は医者だよ、あの女の夫の病気を癒してやってるうちに、あの女と姦通したが、そのうちに夫が死んでしまった、べつに手をおろして殺したというではないが、そんなことで病人を大事にしなかったから、殺したも同じことだ、だからああして腹を洗ってるよ」
「そうかなあ」
一行はまた歩いた。
僧侶や尼僧達がたくさん裸になって立っている処があった。そこは夜叉達が牛や馬の皮を持ってきて、それを尼僧の頭から覆《かぶ》せていた。覆せられた者はそれぞれ牛や馬になった。一人の馬の皮を被せられた太った尼は、馬になるとともにひひんひひんと言って地を蹴だした。夜叉は面倒くさそうにそのたて髪を掴んで連れて往こうとした。馬は跳ね躍って往こうとしなかった。夜叉は脚下にある鉄の鞭を取ってびしゃびしゃと腰のあたりを叩《たた》いた。肉が破れて血が飛び散った。馬は一声叫びながら前の方へ駈けだした。
「ここで畜類にせられているのは、どういう訳だろう」
※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]はまた聞いた。
「あの僧尼達は、自分が手を動かさずして世を渡り、そのうえ戒律《かいりつ》を守らないで、婬を貪り、葷《うん》を茹《くら》い、酒を飲んだので、牛馬にして人に報いをさすところだ」
三人はまた次の処へ往った。そこには入口に榜《たてふだ》があって誤国之門《ごこくのもん》という文字が見えていた。その門の内には鉄床があって、その上に数十人の者が坐らされていた。皆重罪の者と見えて、手には手械《てかせ》がかかり、足には足械をし、首には青石の大きなのを首械として置いてあった。
「あの男を見るがいい」
鬼使の一人は罪人の一人へ指をさした。
「あれは何人《だれ》だろう」
※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]は聞いてみた。
「あれは宋の秦檜《しんかい》さ、忠良を害し、君を欺き、国を滅したから、こんな重罪を受けておる、他の者も皆国を誤ったもので、この者どもは、国の命が革《あらた》まるたびに、引出して、毒蛇に肉を噬《か》まし、飢鷹に髓を啄《つつ》かすのだ、それで、肉が腐り爛《ただ》れてなくなると、神水をかけて業風《ごうふう》に吹かすと、また本の形になる、こんな奴は、億万|劫《ごう》を経ても世には出られないよ」
※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]はもう家へ還りたくなった。
「もういい、家へ還りたい」
鬼使は※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]を送ってそこを出た。そしてすこし歩くともう※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]の家であった。※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]はもう送って貰わなくてもよかった。
「もういい、ここでたくさんだ、還って貰おう、しかし、何もお礼をするものがなくて気の毒だ」
すると鬼使が笑った。
「お礼はいらない、それよりか、また詩を作って、世話をかけないようにして貰おう」
※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]も声を立てて笑った。そのはずみに夢が覚めて欠伸《あくび》が出た。
朝になって※[#「言+饌のつくり」、第3水準1−92−18]は夢のことを考えて、烏老の家へ往ってみた。烏老は前夜の三更の頃に歿《な》くなっていた。
底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年12月14日作成
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