右衛門の女房の累じゃ、与右衛門は、わしが容貌《きりょう》が悪いから、わしを絹川へ突き落したによって、その怨念《おんねん》を晴らすために来た、今、与右衛門は逃げて法蔵寺に隠れておる、あれを呼んで来てわしと対決さしてくれ」
 村の者はお菊の詞《ことば》が累そっくりであるからとにかく与右衛門を呼んで来て逢《あ》わしたうえで、宥《なだ》めることが出来るなら宥めようと思って与右衛門を呼びに往った。与右衛門は悪事が露見しては困ると思って、
「それは跡方《あとかた》もないことじゃ、あれは狐《きつね》か狸《たぬき》が憑《つ》いておる」
 と、云って尻込みしていたが、村の者が強《し》いて云うのでしかたなしに家に帰って来た。お菊は与右衛門の顔を見ると、
「おのれ与右衛門、おのれは、狐狸と云うて、村の衆の前をつくろおうとしておるが、おのれのしたことを何人《だれ》も知らないと思っておるか、たしかな証拠人があるぞ」
 と云った。与右衛門は何も云えなかった。すると村の者の一人が聞いた。
「その証拠人は何人《だれ》だね」
 お菊は叫ぶように云った。
「法恩寺村《ほうおんじむら》の清右衛門《せいえもん》じゃ」
 与右衛門はどうすることもできなかった。村の者は今更与右衛門を成敗さすに忍びないので、与右衛門に出家さして累の菩提《ぼだい》を弔わすがいいだろうと云うことになった。その時名主の庄右衛門《しょうえもん》は、二三人の同役を伴《つ》れて家へ来てお菊に云った。
「お前の怨《うら》みは、与右衛門にあるではないか、なぜお菊を苦しめる」
 するとお菊は起きなおって云った。
「それは仰せのとおりでございますが、与右衛門にとりついて、すぐ責め殺したのでは、懲《こ》らしめになりません、こうしてお菊を悩ますのも、与右衛門に苦痛を見せるためであります」
 とても宥めたくらいでは累の怨霊《おんりょう》は退《の》かないと云うので、祈祷者《きとうしゃ》を呼んで来て仁王法華心経《におうほっけしんきょう》を読ました。お菊はそれを遮《さえぎ》った。
「そんなお経を幾万遍読んでも駄目じゃ、わしの地獄の業数《ごうすう》を救うてくれるなら、念仏を唱えてくれ」
 名主はそこで法蔵寺の住職を呼んで、二十六日の夜念仏《よねんぶつ》を興行さしたところで、累の怨霊が退散してお菊は元の体になった。しかし、累の怨霊はその後も二度ばかり来てお菊を悩ましたので、弘経寺《ぐきょうじ》の祐天上人《ゆうてんしょうにん》が教化《きょうげ》して成仏得脱《じょうぶつとくだつ》さしたのであった。



底本:「怪奇・伝奇時代小説選集14 累物語 他10篇」春陽文庫、春陽堂書店
   2000(平成12)年11月20日第1刷発行
底本の親本:「怪談全集 歴史篇」改造社
   1928(昭和3)年発行
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2005年8月19日作成
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